~東京都新宿区・中野区
わがままな川と重なる地名編 その1~
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
東京メトロ東西線は、東京都の中野駅と千葉県の西船橋駅を結んでいます。
始発の中野駅を出て1つ目の駅が落合駅です。中野駅と高田馬場駅の2つのターミナル駅に挟まれて、ちょっと存在感の薄い…といったら地元の方に怒られてしまいますね。
この「落合」という地名は日本の各地にあり、その由来は「2つ以上の川が合流する場所」ということです。
下の地図は広島県庄原市にある備後落合駅付近のものですが、山間にあるこの駅の近くにはいくつかの川が流れていて、それがこの地で合流していることがわかります。道路や鉄道も川に沿って建設されていて、やはりこのあたりで合流・分岐をしています。

では、東京の落合駅付近はどうなっているのか、こちらも地図で確かめてみることにします。
たしかに、神田川と妙正寺川の2つの川があり、それが下落合駅のあたりでかなり近づいていることがわかります。ちょっとわかりにくいとは思いますが、2つの川が流れているあたりは標高が低くなっており、これは川が台地を削ってできたものということなのでしょう。
ただ、少し気になるのは「落合」という地名を冠する住所が、広い範囲に分布しているということです。地図の東のほうには「下落合」、西のほうには「中落合」、さらにその南には「上落合」という住所を確認できます。川が落ち合う場所は一点のはずなのに、なぜこれほど広い範囲が「落合」と呼ばれているのでしょう?

とりあえず、現地に行ってみないことにはわからないこともあるだろうと思い、西武新宿線の下落合駅に降り立ったのです。駅を出て5分ほど歩き、地図上では妙正寺川が消える地点の辰巳橋という橋の上に来てみました。下の写真は橋の東側、つまり妙正寺川が地図上から消える方向を撮ったものなのですが、ご覧の通りここからは暗渠になっているんですね。東京の川ではよくあることです。

ここで気づいたことがありました。
今でこそ川はコンクリートの護岸によってその流れをコントロールされていますが、昔は自然のままで流れていたわけですね。おそらく、昔の川の流れはとても〝わがまま〟だったことでしょう。大雨が降るたびに流れを変えて蛇行をくり返し、2つの川の合流地点も広範囲で移動したのではないでしょうか。先ほどの広島県の落合は、川の流れが山によって制限されています。しかし、ここにはそのようなものはなく、2つの川は自由気ままに流路を変えていたのでしょうね。その結果、東京の落合は「点」ではなく「面」になり、その地名も広い範囲につけられていったのだということです。
あれ? でもここは「川が落ち合う場所」ではないですね。
川が2つあるのは間違いないので、どこかに落ち合うところがあるはずですよね?
そんな疑問を残しつつ辰巳橋を後にし、妙正寺川に沿って西へと歩みを進めます。川沿いの道は途中で途切れてしまったので、少しだけ北に向かうと商店街の道に出ました。少し歩いて気づいたのですが、この商店街妙に曲がりくねっているんです。以前からこのブログを読んでくれている方はすぐに気づいたかもしれません。この道はかつて川が流れていた跡でしょう。地図を見ると北側には崖がありますので、おそらくここを流れていた川が削ってできた地形でしょう。護岸工事される前の妙正寺川はきっと〝わがまま〟に流れていて、台地を自由に削っていたのでしょうね。その崖に沿ってくねくねの商店街が今もあるのだということです。

さらに西へ進んでいくと、右側に「三の坂通り」と書いた道標を見つけました。坂を見上げると、細くて急な坂道が一直線に伸びています。こういう坂は上ってみたくなるんですよね。息を切らしながら坂を上ると、そこには住宅街が広がっています。このあたりに住んでいる人はおそらく先ほどの商店街の近くにある中井駅を利用するのでしょう。…だとすると、毎日のようにこの坂を上り下りするわけですね。坂道は好きですが、毎日ここを通るとなると話は別。ここに住むのは大変だろうなぁ…。
ここで気になったのが「三の坂」という坂の名前です。もしかして他の数字もあるのかなと思って地図を見たところ、このあたりには「一の坂」から「八の坂」までが並んでいるようです。その由来を調べてみたところ、大正から昭和初期にかけておこなわれた大規模な住宅地開発にあるとのことでした。高台の住宅地へ向かって平行に伸びる8本の道が整備され、東から順番に「一」から「八」まで番号を振ったのだそうです。番号のような名にすることで、住所のような役割を持たせるという意図もあったようです。この住宅地は「目白文化村」とよばれ、当時の高級住宅街だったようですね。今のように高い建物のなかった時代ですから、ここからの眺めは格別だったのでしょう。
「一」から「八」までの坂をぜんぶ巡ってみたのですが、いちばんのおすすめは下の写真の「四の坂」です。この坂だけは、なぜか途中が階段になっていて、両側に生い茂る木々がとてもよい雰囲気を醸し出しているのです。ほかの7つは普通の急坂なので、もしみなさんがここを訪れたときは「四の坂」を上ることをお勧めします。

八の坂から西に向かうと妙正寺川に突き当たります。先ほどまで東西方向に流れていた川は、このあたりで南北方向に流れを変えているようですね。私も川に沿って北に向かうことにしました。この道も上り坂になっているのですが、先ほどの「一」から「八」のような急坂ではありません。7~8分ほど進むと住宅街となります。やっぱりこのあたりの住宅街は高台にあるんですね。昔は、川沿いの低い土地は水害が多かったのかもしれません。
地図を見ると、この先に気になる場所が2つありましたので、そちらに向かうことにします。
訪れたのは哲学堂公園。何やら難しそうな公園です。今歩いている道も、どうやら哲学堂通りという道のようで、いつの間にか哲学の世界へと導かれていたのです。
ここは東洋大学の創立者であり、哲学者でもある井上円了が、明治時代に精神修養の場として創設した「哲学をテーマにした公園」なのだそうです。公園の入り口を入ると池があって、ここは普通の長閑な公園のようです。ところが、池から階段を登っていくと徐々に雰囲気が変わっていき、木々の向こうに白い建物が見えてきました。近づいてみると説明板があり、「万巻の書物を読みつくすことは絶対の妙境に到達する道程」なのだそうです。要するに本を読むことが大事ということでしょうか? たぶんそんな単純なことではないのでしょうけど…。
その先には、何やら古めかしい建物があります。これは「四聖堂」という建物で、もともとは「哲学堂」と呼ばれていたそうです。つまり、この建物が公園全体の名称になったということですね。説明板には東洋と西洋を代表する「四人の聖人」が祀られているとあります。その4人というのは、釈迦、孔子、ソクラテス、カントだそうで、「人類の知の巨頭たちがここで一堂に会しているのか」と思うと、なんだかすごいパワースポットのような気もしてきます。

さらにその先には、下の写真の六角形をした建物があります。これは「六賢台」という建物で、日本の聖徳太子と菅原道真、中国の荘子と朱子、そしてインドの龍樹と迦毘羅の6人の東洋の賢者が祀られているそうです。「龍樹? 迦毘羅?」…初めて聞くその名に戸惑いを覚えます。先ほどの釈迦やカントならば「あ、教科書で見たことある!」という感じでしたが、このあたりになると、私の知識は完全に置いてきぼりにされてしまっています。とりあえず、すごい人たちが祀られていることと、なかなか魅力的な建築がたくさんあるということだけはよくわかりました(笑)

この他にも、髑髏庵、経験坂、常識門などというユニークなネーミングのものがたくさんあるのですが、これもきっと哲学に関することが由来となっているんでしょうね。どうやら、この公園全体が巨大な「哲学の教科書」になっていて、散策すること自体が思考の訓練になるというしくみのようです。
私も、この公園の中に込められた真意を理解しようと、ちょっとだけ難しい顔をしながら巡っていきました。
哲学とは、答えのない問いを追い続けることだと言います。しかし、この公園を一周し終える頃には、私の脳内は完全にノックアウト。真理を見つけることはなく、なんだかよくわからないままで公園を後にすることにしました。「井上円了先生、ごめんなさい。」
気を取り直して、もう1つの気になった場所に向かいます。
公園から階段を下りて新青梅街道を横切り、また坂を上った先にあったのが、下の写真の野方配水塔です。

1930年に完成したこの塔は、まるで中世ヨーロッパの古城のような威厳を放っています。当時のこの地域は人口流入が激しく、それに対応するため高台から家々へ水を送り届ける配水の拠点が必要でした。1966年まで配水塔として使用され、現在は中野区の災害用給水槽となっているそうです。国の登録有形文化財となっているこの塔は、この地域の発展の生き証人といっていいでしょう。
ここでふと昔の記憶が甦ってきました。
たしか、野方という住所にいとこが住んでいて、そこには中野駅から歩いて行ったような気がする…。
たしか、中野駅の近くに野方警察署というのがあった気もする…。
そして、坂を下りたコンビニには「中野江古田1丁目店」と書いてあります。
「江古田って練馬じゃなかったっけ???」
ますますわけがわからなくなってきました。
…が、長くなってきたので、この謎解きと散策の続きは次回のブログで。
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
