Blog & Column

リンスタ講師・スタッフによるブログ&コラム

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 白井亨
  4. ~千葉県印西市  新・旧・最新編~

~千葉県印西市
  新・旧・最新編~

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

高度経済成長期には都市部への人口集中が進み、過密化の問題や住宅不足が深刻になりました。その問題を解決するため、大都市圏の郊外に、計画的に開発された大規模な市街地を「ニュータウン」といいます。
千葉県北部に建設された千葉ニュータウンの一部となっている印西市は人口約11万人、2024年の人口増加率は全国第3位となっている発展著しい街です。ニュータウンの中心となる千葉ニュータウン中央駅からは、東京の日本橋駅へ1時間弱で行かれるだけでなく、成田空港へのアクセスも良好です。

下の写真は、千葉ニュータウン中央駅付近のものですが、1枚目が開発前、2枚目が現在のもので、2枚目の〇で囲んでいるあたりに千葉ニュータウン中央駅があります。千葉県北部にニュータウン建設が計画されたのは1960年代後半のことですが、当時は何もない土地だったことがわかりますね。きっと、自然が豊かなのんびりとした農村だったのでしょうね。写真を見ただけでも、その変貌ぶりには驚かされます。
しかし、現在の地図をよく見てみると、駅から離れたところには意外に緑が残っていることもわかります。開発されたのは中心部だけで、周辺部には昔ながらの風景が見られるのかもしれません。今回は、ニュータウンの現在の姿と過去の風景をこの目で確かるために、印西市を訪ねてみました。

千葉ニュータウン中央駅に降り立った私は、駅から北の方に向かって歩き始めました。 駅付近は、下の写真のようにいかにもニュータウンという感じの整然とした街並みです。道路の幅も広く、商業施設も数多くあります。広い公園もあり、きっと生活をするには快適な街なのでしょうね。実際に、住みよさランキングでは、2012年から12年連続で千葉県第1位、2018年までは7年連続で全国第1位になっていたのだそうです。自動車の道路だけでなく、歩行者のスペースも広くとられています。そのせいなのかどうかはわかりませんが、歩いている人の数はそれほど多くないように感じました。道が整えられているので、自動車での移動が多いのかもしれませんね。

駅に近いところは高層の住宅が数多く建ち並んでいます。歩行者用の道を歩いていたのですが、自動車の通る道路とは立体交差していて、信号待ちのストレスがありません。計画的に建設された街だからこその快適な歩きを楽しんでいると、道は水辺のある広い公園のなかに入っていきました。犬を連れている人や散歩をする人とすれ違いながら、公園内を進んでいきます。こういう憩いの場が身近にある環境はうらやましいですね。

公園を抜けたところはまだ住宅地ですが、このあたりからは戸建ての住宅が並ぶようになりました。しばらく進むと住宅街は突然終わります。そしてその先には下の写真のような風景が広がりました。駅からここまでは30分もかかっていません。後ろを振り向くと、先ほどまで歩いていた整然と並ぶ住宅地が見えます。しばらく歩くとまた民家が見えてくるのですが、先ほどのように整然と並んでいる新しいものではありません。ビニールハウスや畑と一体化した民家は、まさに農村の風景。自動車の通らない抜け道のような細い道は、まるで現在と過去をつなぐタイムトンネルのようです。

細い道を抜けると、自動車の行き交う道に出ます。この道は、かつて鮮魚なま街道と呼ばれていた道です。
銚子の港に水揚げされた鮮魚は、利根川をさかのぼって(我孫子市)で陸揚げされました。そこから馬に乗せて江戸川沿いにある松戸までの約30㎞を運び、再び船に乗せて江戸へ向かいました。この布佐~松戸間の陸路が鮮魚街道で、江戸の町に新鮮な魚を届けるための重要な役割を持つ道だったのです。

鮮魚街道は自動車の通行も多く、歩道もありません。そこで、ちょっと街道を離れてみることにしたのですが、そこに広がる風景はさらに昔の時代のものでした。途中には、下の写真のように薄暗い森の中を抜けていくところもあり、あの駅前の近代的な街並みから30分ほどしか過ぎていないのが噓のようです。この写真をSNSで知り合いに送ったところ「熊が出ますよ!」と忠告されたのですが、幸いなことに千葉県には熊は出ないんです🐻

風景のギャップを楽しみながらさらに進んでいったところにあったのが、下の写真の〝月影の井〟と名付けられた井戸です。案内板を読んでみたところ、この井戸は神奈川県鎌倉の〝星影の井〟、福島県二本松の〝日陰の井〟とともに、日本三井さんせいのひとつに数えられているのだそうです。地図で確認してみると、この井戸があるあたりは台地と低地の境目になっていますので、水が湧いてくる場所であることは間違いなさそうです。今の井戸の底にはあまり水はないようなのですが、おそらく昔はきれいな水が滾々こんこんと湧いていたのでしょうね

思わぬ「日本三大」のひとつを発見したところで、そろそろ駅に向かって折り返すことにします。細い坂道を登っていくと、先ほどの鮮魚街道に出ました。思ったよりも車の通りも少なかったので、帰路はこの道を歩いていくことにしました。緩いカーブを曲がると、道に沿って並んでいる下の写真の石碑群が見えてきました。近づいてみると、その石碑も赤く塗られたような跡があります。そういえば、往路でも文字が赤く塗られた石碑がありましたね。石碑自体は珍しくないでしょうけど、赤く塗られたものはあまり見た記憶がありません。なんとなく不気味な感じもしたこの石碑が気になり、ちょっと調べてみることにしました。

この石碑群がつくられたのは江戸時代の終わりごろのことだそうです。このような石碑が100基ほど建てられていたそうで、この地区の名称から〝浦部の百庚申こうしん〟と呼ばれています。写真の石碑にも文字が見えますが、この石碑は庚申塔こうしんとうといいます。昔から60日ごとに巡ってくる庚申かのえさるの日には、人の体内にいる悪い虫が神様のところに行ってその人の悪事を伝え、それによって寿命が縮むとされていました。悪い虫の行動を止め、人々の長寿や健康、村の安全などの願いを込めて建てられたのが庚申塔です。また、赤く塗られているのは魔除まよけのためだそうです。日本では古来より赤色は魔除けの力があると信じられてきました。

石碑の由来がわかると、先ほどまで不気味に見えていたものがありがたいものに見えてくるのが不思議ですね。この場所も、駅から40分弱、距離にして3㎞程度のところです。たったそれだけで令和の世から江戸時代までタイムスリップできるなんて、こんな場所なかなかないでしょうね。 先ほど通った〝タイムトンネル〟の細い道を通って、現在の住宅街に戻ってきました。今度は、住宅街の真ん中ではなくその淵を通る道に沿って東へ向かいます。1㎞ほど歩いたでしょうか…。先のほうに下の写真のような巨大な建物が見えてきました。普通の戸建て住宅と、窓もない巨大な建物の組み合わせは、なんとも違和感のある風景です。

この建物はデータセンターといい、印西市はこのような施設が集中しているところとしても知られています。データセンターとは、企業や組織が情報システムを運用したり、サービスを提供したりするために必要な情報技術の基盤を集中管理し、安全で安定的に運用するために建設された施設のことで、私たちが使っている様々な情報システムは、このような施設があることで快適に利用できるのです。

上の地図の点線で囲んだところには、多くのデータセンターが建設されています。印西市にデータセンターが集中しているのは、地盤が強固であること、広大な土地を確保しやすいこと、そして電力供給が安定しているというといった条件が整っているからなのだそうです。印西市のデータセンターは、日本の情報通信ネットワークの重要な心臓部を担っている街でもあるんですね。
しかし、このデータセンターについては、住民の反対意見もあるようです。
1つはその建設場所に関することです。地図を見てもわかる通り、データセンターがあるのは比較的駅から近い便利そうな場所です。本来であれば、ショッピングセンターなどの住民が利用できる施設があってもいい場所ですよね。また、データセンターは大量の電力を消費するため、住宅への電力供給の不安もあるようです。さらに、この場所にはデータセンターの関係者しか行かないわけですから、駅前や住宅地に比べると閑散とした場所になってしまうわけで、町の賑わいが損なわれるだけでなく治安の悪化も心配という声もあるようです。環境や景観の問題もありますよね。もちろん、この地域の住民も情報システムを利用しているのですから、間接的にはその恩恵を受けているわけです。でも、住民にとって直接メリットを感じられるようなことがないと納得できないという気持ちもわかるような気もします。

印西市を訪ねてみて、ニュータウンとしての新しい顔、古くからの歴史や風景が残る農村の顔、そしてデータセンターという最新の顔という3つの顔を見つけることができました。それらが比較的狭い範囲で見られるということで、変化を楽しみながら散策を楽しむことができたのです。東京からも気軽に行かれるところです。多層的な魅力を持つこの街を、みなさんも訪ねてみてはどうでしょうか。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

関連記事