白井亨(しらいとおる)

~宮城県石巻市 備えあれば…編~

2023.12.19

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

前回紹介した女川を訪問後、JR石巻線に乗って石巻駅までやってきました。
ここ石巻も、東日本大震災では大きな被害があったところで、死者・行方不明者合わせて約3800人にもなったそうです。石巻駅は、海岸から2㎞以上離れているのですが、ここにも津波は到達し、当時の写真を見ると駅前に止めてあった自動車が、半分近く水没しているのが確認できます。津波は旧北上川を逆流し、石巻市街地のほとんどが浸水・水没してしまいました。宮城県内第2の人口を擁する、日本でも有数の漁港の町である石巻市は、壊滅的な被害を受けたのです。

石巻市の震災被害のなかでよく知られているのが、大川小学校の子どもたちが津波の犠牲になってしまったことでしょう。
下の地図を見てください。大川小学校のすぐ近くには北上川があり、河口までの距離は4~5㎞あります。大きな被害を知っている今だから「なんでこんな危ないところなのにすぐに高台に避難しなかったんだろう?」って思えますが、実はこの地域は過去に津波の被害を受けたことがなかったのだそうです。小学校にいた先生と生徒だけでなくこの地域の住民の避難も遅れました。過去のことから「ここまで津波は来ない」と油断もあったのではないかと思います。

地図を見る限り、南側にある山に登ればまちがいなく助かったと思われます。でも、高学年の子はともかく、1年生や2年生は安全に斜面を登ることができたでしょうか。先生たちはそれを考えて躊躇したのかもしれないですね。震災当日は雪もあったようですからなおさらでしょう。結局、新北上大橋の方向へ避難を始めた子どもたちは、北上川を遡ってきた津波に飲み込まれてしまったのです。
このような緊急時に正しい判断ができるかと言われれば、正直私もその自信はありません。ただ残念に思えるのは、大川小学校には避難に関するマニュアルが整備されていなかったそうです。これは学校側のミスと言っていいでしょう。日ごろから万が一を想定して備えていれば、山への避難を想定していれば、大勢の子どもたちが犠牲になることもなかったはず…。そう考えると本当に心が痛みます。

さて、同じ石巻市内には、津波に襲われながら、そのときに学校にいたすべての生徒が無事に避難できたという小学校もあります。それが、今回訪れてみた門脇(かどのわき)小学校です。
下の地図を見てください。学校のあった場所は海岸から1㎞もないでしょう。こういう場所だったからこそ、大きな揺れに見舞われた後、すぐに津波の襲来を予見できたのでしょう。また、門脇小学校では「すぐに学校裏の山(日和山)に避難する」ということが決まっており、避難訓練もおこなわれていたとのこと。そのこともあり、地震が起こった後すぐに日和山への避難を開始できました。学校にいなかった生徒に犠牲は出たものの、先生、生徒、保護者すべてが無事に避難できたのだそうです。

石巻駅から南へ歩き、まずは日和山の高台を目指しました。石巻駅付近の町並みからは、津波の被害を感じられませんでした。石巻の人々の努力によって復興したんですね。しばらく進むと日和山へ続く坂道が見えました。急な坂を上ると住宅地になっており、ここでも被害の様子は感じられません。おそらくこの住宅地は、震災前と同じ姿をとどめているのだと思います。
ところが、狭い路地を抜けて高台の先端に行ったとき、その風景は一変したのです。

「何もない…」

高台から見下ろした海までの広い土地には何もないんです。この風景を前に私は、しばらくの間呆然と立ち尽くしてしまいました。

下の2枚の写真は、震災前と震災後のこの地域のものです。

震災前には、学校の南側に多くの人々が暮らしていたことがわかります。ここに住んでいた子どもたちが、門脇小学校に通っていたのでしょうね。その人々の暮らしが、震災後の写真からはほぼすべて消え去っています。6mを超える津波は、こんなにたくさんの人々の生活を奪ってしまったんですね。

気を取り直して、おそらくあの日に生徒たちが駆け上がったと思われる階段を下りていきました。
そこにあったのが、下の写真の門脇小学校の遺構です。この姿を目の前にして再び、立ち尽くしてしまう自分がいました。

よく見ると校舎の所々が黒くなっていることがわかりますよね。6mの津波によって、校舎には数多くの自動車も流されてきました。その自動車から漏れたガソリンに引火し、校舎は炎に包まれたのです。大きな地震が起こったばかりで消火活動もできず、校舎は3日間燃え続けたそうです。
つまり、もし子どもたちがこの校舎の屋上に避難していたら大きな犠牲が出たということです。裏山に避難するということをしっかり決めておき、さらにその訓練を実施し、事が起こったときに速やかに実行できたからこそ、子どもたちの命を守ることができたということですね。まさに「備えあれば…」ということです。

災害はいつ起こるかわかりません。私たちも「備えあれば…」を胸に刻み、日ごろから準備をしておきたいものですね。

「?」はきっと…
いやいや。今回はいつものフレーズで終わるのはふさわしくない気がします。
…ということで。

「災害」はきっといつか来る
「災害」を知れば備えられる
みなさんも、日ごろから「備えあれば…」を忘れないようにしましょう。

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