長野県長野市
~弥陀に惹かれて十八丁 前編~
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
しばらく続いた信州シリーズもこれでラストになります。
信州を旅しておいて、採り上げるのを忘れてはならない場所。そうです、江戸時代から「一生に一度は…」と称され、今も昔も多くの人々を引きつけてやまない、あの「善光寺」です。ここを採り上げずして信州シリーズを終えることはできません。
長野駅と善光寺の間は2㎞ほど離れています。駅前からはバスも頻繁に出ているのですが、街並みを楽しみながら歩いて向かうのもいいでしょう。もちろん私は歩いていきますよ。
スタートは、北陸新幹線の長野駅です。実は、新幹線を降りて改札を抜けたその瞬間から、すでに「善光寺参り」は始まっているのです。
長野駅に着いて新幹線の改札口を出たら左側を見てください。そこには大きな「善光寺」の額が掲げられており、その下にぽつんと古い石碑が佇んでいるのが見つかります。石碑には「是より善光寺参道 十八丁」の文字が。これは「丁石」といって、ここから善光寺の本堂までの距離を示す道標です(一丁は約109m)。

長野駅が開業したのは1888年のこと。古くから善光寺の門前町として栄えてきたこの地に駅ができるのですから、当然善光寺への参拝のことを考えたと思います。仏教の世界では、「弥陀の十八願」というのがあり、これは阿弥陀如来の四十八願のなかでも最も根本的な願いとされるものなのだそうです。ちなみに、阿弥陀如来の四十八願というのは、阿弥陀仏が修行時代に立てた、一切の衆生を救済するための四十八の誓いのことです。長野駅の位置は、「弥陀の十八願」にちなんで、本堂からちょうど十八丁離れたこの場所につくられました。こんなエピソードからも、長野市にとっての善光寺の存在の大きさを垣間見ることができます。それにしても、改札を出た瞬間から、すでに善光寺へのカウントダウンが始まっているという演出は心憎いものがありますね。
それでは、善光寺への十八丁を歩いていくことにしましょう。
新幹線改札から在来線改札へは少し階段を下ります。左手に長野オリンピックの大きなタペストリーを見ながら進んでいくと、どこからともなく出汁のいい香りが漂ってきます。その正体は、在来線改札の正面にある立ち食いそば屋さん! 立ち食いそばと侮ることなかれ、ここのそばはとてもおいしいんです。立ち食いそばでさえハイレベルなんて、さすが信州ですよね。私も長野駅に行くとほぼ100%立ち寄っています。
でも、今回の目的は善光寺! 出汁の香りに後ろ髪を引かれつつ、駅の外へと向かいます。
エスカレーターを下りて、善光寺口の駅前広場に降り立つと、噴水に囲まれた一体の像が目に入ります。この像の向く方向が「?」なんです。長野駅に正面を向けるわけでもなく、かといって駅前に正面を向けるわけでもなく、なぜかこの像は斜めの方向を向いています。この蓮の花の上に佇む像は「如是姫像」といいます。彼女はインドの王女さまで、善光寺の御本尊様である阿弥陀如来に命を救われたという伝説があるのです。彼女は、その感謝の気持ちを込めて善光寺のある北を向いて花をささげているんですね。

如是姫像は1908年につくられ、当時は善光寺の境内に置かれていたようです。そして、1936年に長野駅が改築されたことをきっかけに、この駅前広場に移されました。しかし、太平洋戦争中には金属類の供出の命令が出され、なんと如是姫像もその姿を消してしまいます。現在の像は、戦後の1948年になって募金活動がおこなわれて再建されたものだそうです。1つの像だけでも、さまざまな歴史があるものですね。
駅前のスクランブル交差点を渡り、「善光寺参道」の標識に従って先へ進んでいきます。このまま進めば善光寺に行けるのかと思いきや、100mほど進んだ「末広町」という交差点で、道は右に折れることになります。駅から一本道で行けたほうがわかりやすいと思うんですけど、なぜ長野駅はそのような位置に設置されなかったんですかね?
おそらくその理由はこのようなことなのではないでしょうか。
長野駅を通る信越本線の建設目的は、東京と新潟を結ぶということでした。南西から北東に向かっている線路を、善光寺の正面になるようにするには西から東へと向きを変える必要があります。途中に無駄なカーブができてしまうことになりますよね。そのカーブが輸送上のネックになる可能性だってあるわけです。そもそも、善光寺のために建設されたわけではないのですからね。
さて、先へ進むことにしましょう。ここから善光寺まではひたすらまっすぐ進んでいきます。
そうそう。この末広町交差点には「十五丁」の石碑があります。新幹線改札から三丁進んだことになるわけです。
道の両側にはたくさんの店が建ち並んでいます。…と、ここで思い出したことがありました。数日前に松代にいくバスに乗っていたときに「かるかや前」という、ちょっと不思議な名のバス停があったことを思い出しました。そのバス停を探すべく、先を急ぎます。
「十四丁」の石碑を過ぎてしばらく行くと交差点に差し掛かります。このあたりにバス停があるはずだと思って周囲を見てみたのですが、百貨店のような大きな建物はないようです。「地方の百貨店はつぶれてしまったところも多いからな…」なんて思いながら進んでいくと、「かるかや山」と書かれた石碑が!
「ん? かるかや山?」
ようやく大きなミスに気づきました。「山」の字を見落としていたんですね。しかも「かるかや」の「や」をかってに「屋」に置き換え、何かの店、例えば「かるか屋百貨店」みたいなものがあるものと思い込んでいたんです。…なんとも恥ずかしい勘違いですよね。しかも百貨店探してるし…💦
ビルとビルに挟まれた赤い門には「苅萱山西光寺」を書かれており、ようやくここが寺院ということがわかりました。「思い込みってこわいなぁ…」と反省しつつ、せっかくのご縁ですから、門をくぐって境内にお邪魔してみることにしました。すると、ここには深く切ないドラマが眠っているということがわかってきたのです。

みなさんは「刈萱道心と石童丸」の物語をご存知でしょうか?
出家して高野山で修行に入った父である刈萱道心を探して、幼い息子の石童丸は、はるばる高野山を尋ねます。母から聞いていた父の姿によく似たお坊さんを見つけて声をかけるのですが、厳しい修行の身だった刈萱道心は、我が子に「自分が父親だ」と名乗ることはできませんでした。
その後、石童丸も出家して高野山に入ります。しかし、親子の情が修行の妨げになると思った刈萱道心は信州のこの地へと移り住み、ここで亡くなります。生涯「父子」であることを隠し続けたということですね。父の死を知った石堂丸は、この地にやって来て父の供養をしたのだそうです。目の前にいるのが血を分けた実の子だとわかっているのに名乗ることができない父…。実の父と知りつつ弟子として修業を続ける子…。なんとも胸が締め付けられるような悲話ですよね。
この西光寺は、そうした親子の物語を、大きな絵図を使って参拝者に分かりやすく語り聞かせる「絵解き」の伝統を今に伝えるお寺としても知られています。
文字が読める人が限られていた時代、人々は善光寺へ向かう道すがらこの絵解きに耳を傾け、親子の悲しい物語に涙を流していたのかもしれないですね。
親子の絆に思いを馳せつつ、恥ずかしい勘違いのことはこの寺に納め、再び表参道へと戻ります。善光寺へのカウントダウンは十四丁を過ぎたところ。まだまだ先へ進みましょう。
十三丁、十二丁と進み、右手に信越放送のビルがある交差点を過ぎたあたりからは車道も石畳になって、徐々に雰囲気が高まってきます。そして道は、少しずつ上り坂になっているようですね。
十丁のあたりからは古いお店もちらほら見えるのですが、新しい建物に建て替えられたところも多いようです。

九丁碑付近では、右手に芝生の広場が見えます。ここは「セントラルスクゥエア」といって、1998年の長野オリンピックのときに、表彰式の会場として使われた場所です。当時、インフルエンザにかかって、ベッドの中で朦朧としながら見たスキージャンプ団体の逆転劇。あの原田選手の姿に号泣したことを思い出しました(笑)
再び緩い上り坂をひたすら進んでいきます。
ここでふと疑問に思ったのは「なんで上り坂なんだろう?」ということでした。これまでに何度か訪れている善光寺ですが、すべて車での訪問だったので「坂」というのをあまり意識していなかったのです。

上の地図は、長野駅から善光寺付近の標高を、5mおきに色を変えて表したものです。
長野駅から六丁碑くらいまでは多少高くはなっているものの、ほとんど上り坂というのは感じませんでした。ところが、それを過ぎるとどんどん色が変わっているのがわかりますよね。確認してみたところ、長野駅と善光寺本堂の標高差は40mほどあるようです。
地図を見ると、なんとなく扇形が見えるので「扇状地」のような気もしますが、それにしては裾花川の位置が西に寄り過ぎているような気がします。
調べてみたところ、裾花川は江戸時代の治水工事で流路が変えられているとのことでした。もともとは、長野県庁のあたりから東に流れていたものを、現在のように南へ流れるようにしたのです。おそらく、現在の長野駅の東あたりを流れていたんでしょうね。
少しずつ坂を上って行って善光寺にたどり着くという演出は、自然の地形をうまく利用したものだったんですね。これによって、参拝者にとっての善光寺は、より〝ありがたいもの〟と感じられるようになったわけです。もちろん、寺を水害から守るということにも役立っていることは言うまでもありませんね。
善光寺への道はようやく半分ほどなのですが、だいぶ長くなってきました。
…ということで、ここから先の道のりは次回ということにしましょう。
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
