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~東京都新宿区・中野区
  わがままな川と重なる地名編 その2~

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

前回は、野方配水塔で地名の迷宮に迷い込んだところで終わってしまいました。もう一度整理すると、野方というのは西武新宿線の野方駅の付近から中央線の中野駅の北にかけての地名で、野方配水塔の住所は中野区江古田である。でも、江古田というのは練馬の地名ではないのか?…ということでした。

地図を見ても、たしかにこのあたりの住所は「江古田」になっています。…と気づいたのは、地図の中にあった「江古田古戦場」という文字。どういう戦いかは知りませんが、とりあえず江古田の名のあるその場所に向かってみることにしました。

野方配水塔から10分もかからずに着いたのが江古田公園。その一角に下の写真の石碑が立っていました。

石碑には「史跡 江古田 沼袋古戦場」と刻まれています。
戦いが起こったのは1477年のこと。江戸城を拠点とする太田道灌どうかんと、現在の石神井城(練馬区)を拠点としていた豊島としま泰経やすつねが、この地で激突しました。道灌は、川沿いの複雑な地形や湿地帯を巧みに利用し、豊島軍を圧倒。豊島方の主軸であった泰経の弟・泰明やすあきらをはじめ、多くの将兵がこの地で命を落としました。
この戦いに勝利したことで、道灌は豊島氏を滅亡へと追い込み、武蔵国における支配力を決定的なものにしました。もし道灌がここで負けていたら、その後の「江戸」の発展、そして今の「東京」の姿はなかったかもしれません。

で、この合戦について調べているうちに、1つの「?」が見つかりました。
江古田の読み方は「えごた」と書いてあったんです。男子御三家の1つである武蔵中学の最寄り駅は「江古田駅」で、その読み方は「えこだ」だったはず…。確認してみたところ、やはり中野区の江古田は「こ」に濁点が、練馬区の江古田は「た」に濁点がつくということがわかりました。
江古田という地名の由来は、湿地を意味する「濁った」の古い田んぼという地形からつけられたという説が有力だそうです。そして、元々の読み方は「えごた」、つまり中野区側の読み方のほうが正しいのです。では、なぜ練馬区のほうが「えこだ」になったかというと、その理由は鉄道の開通にありました。1922年、現在の西武池袋線に「江古田駅」が開業しました。この駅名を決める際に「えこだ」という読み方が採用されたとのこと。その理由は、聞き取りやすさではないかと言われているそうです。たしかに、「えごた」よりも「えこだ」のほうが言いやすい気がしますよね。

太田道灌に関するものをもう1つ見つけたのでそちらに向かうことにします。おそらくここから1㎞くらいでしょう。そこには、中野沼袋氷川神社という神社があり、その境内には道灌が戦勝を祈願して植えたと伝わる〝道灌杉〟という木があるようです。
そういえば、この神社の名も複数の地名が重なってますね。「中野」は今の区の名前、「沼袋」は最寄り駅の名前、さらに神社の名の「氷川」は、大宮の氷川神社を総本社とする、この一帯を守る神様のネットワーク。
この地域は、いろいろなところでいろいろな地名が混ざり重なり合っているんですね。何か理由はあるんでしょうか?

神社に到着すると目の前に杉の木があったのですが、想像していたよりもなんだかひょろっとした姿をしています。「この木が500年以上前からあるの??」と思って説明版を見たところ、「当神社には、太田道灌が植えたといわれる道灌杉がありました・・・・・」と書いてあります。残念ながら本物の道灌杉は1944年に枯れてしまったのだそうです。

ちょっとがっかりしながら鳥居をくぐって西武新宿線沿いの道を東へ向かうと、妙正寺川に架かる橋を渡ります。このあたりの妙正寺川はかなり蛇行しているようですね。〝わがままな川〟ですから、自由に曲がりくねったのでしょう(笑)
川を見て1つ気づいたことがありました。昔の村の境界線は、こうした川の流れを基準に決められることが多かったのではないでしょうか。でも、昔の妙正寺川は自由に流れを変えていたわけですから、その境界も動いたはずです。それが、この地域の住所の境界があいまいになっている理由の1つなのかもしれません。

しばらく進むと、バスの通る広い道に出ました。この道を南下していくと中野駅にたどり着きます。でも、まだもう少し寄り道をしてみたいと思った私は、西武線の駅名にもなっている新井薬師に向かうことにしました。たしかここは「目に良い」というご利益があったというのを思い出したのです。1日のほとんどの時間をパソコンに向かって目を酷使しているわけですから、お参りをしておくべきですよね。ちなみに、このお寺の正式な名は「新井山しんせいざん梅照院ばいしょういん薬王寺やくおうじ」というそうです。新井という地名の通り、ここはかつて「新しく湧き出た井戸」があった場所だったそうです。地形的には台地の一部ですから、井戸の存在は地域の人々にとってありがたいものだったのでしょう。

目に良いというのは、徳川秀忠の娘が重い眼病を患ったときに、ここの薬師如来に祈願したところ、たちまち快癒したことで江戸中にその名が知れ渡ったということからだそうです。私も、少しでも視力がよくなることを祈って手を合わせてきました。境内には「白龍権現水」という井戸があるのですが、昔の人はこの水で目を洗ったりしたのでしょうかね。

新井薬師から中野駅に向かう途中で、最後にもう1つだけ寄り道をします。最後の寄り道は、中野駅の北西にある中野四季の森公園です。ここにはかつて警察学校があり、その跡地を利用して防災のための公園がつくられました。駅のすぐ近くにこのような広いスペースがあるのはいいですよね。この日は土曜日だったので、小さな子どもを連れた家族連れも多く、人々がそれぞれのんびりとした時間を過ごしていました。私も散策の疲れをいやすためにのんびりと過ごす…わけではありません。実は、ここには江戸時代の歴史が刻まれているのです。それが「中野犬屋敷(御囲おかこい)」です。

江戸幕府の5代将軍徳川綱吉が出した「生類憐みの令」は、教科書にも載っている有名な法律です。生類憐みの令によって、江戸の町では増えすぎた野犬に悩まされていました。さすがに放っておくことができなくなった幕府は、まだ広大な原野が広がっていた中野に、犬たちを収容するための施設を建設しました。10万匹の犬が収容されていた「御囲」の敷地内には、犬たちが寝起きする「犬小屋」が整然と並び、子犬を養育する施設や、病気の犬を診る病院まで完備されていたそうです。まさに至れり尽くせりなのですが、その費用も莫大なものだったでしょうね。
ちなみに、かつては天下の悪法と言われていた生類憐みの令ですが、現在では「命を大切にする」ということを意図したものだったという評価に変わっています。リンスタのテキストにも「命を粗末にすることのあった時代に,命を大切にすることを重視した綱吉の政治を,現在は高く評価する人々も多くなっています。」という説明が載っています。

そうそう、ここに向かう途中で「野方警察署」の前を通ったので、野方の地名の由来のことを思い出しました。野方配水塔が、現在の野方という住所から離れたところにあったんでしたよね。
野方の地名の由来を調べてみたところ、文字通り「野の方向」という意味でした。建物が密集していた江戸の市街地から見て、「広大な野原が広がっている方角」を指す呼び名で、おそらく武蔵野台地の広い範囲を指していたのでしょう。江戸時代のこのあたり一帯は「野方村」と呼ばれる広大な地域だったそうで、その範囲は現在の野方駅周辺だけでなく、沼袋、江古田、さらには新井薬師のあたりまでを含む、中野区の北半分をカバーするほどの巨大なエリアでした。1930年に野方配水塔が建てられた当時、この場所は「野方町」という自治体の中にあり、そのことから野方配水塔という名が付けられたのです。

さあ、そろそろ中野駅に向かって帰路につくことにしましょう。
ふと顔を上げると、そこには誰もが知るあの白亜の三角形、中野サンプラザがどっしりとそびえ立っていました。

「あれ? 中野サンプラザって、たしか2023年に営業を終了したんじゃなかったっけ?」
確かに営業は終了しており、中には入れないように柵が建てられています。ただし、ここには巨大な再開発プロジェクトがあり、サンプラザの跡地には高さ250メートルを超える超高層ビルや新しいホールを建設する計画が進んでいます。そのプロジェクト開始に備えて、サンプラザは解体の準備を慎重に進めている段階なのだそうです。新しい街へと生まれ変わるその瞬間を、静かに待っている「仮の姿」というわけですね。

もう1つ思い出したことがありました。 最初に気になった落合の地名由来です。2つの川が合流するところということなのですが、その地点がよくわかりませんでしたね。調べてみたところそれがわかったので、東京メトロ東西線に乗って高田馬場に向かいました。

上の地図を見てください。最初に行った下落合駅近くの辰巳橋のあたりで、地下を流れてきた神田川が妙正寺川と合流しています。でも、まだここでは2つの川が存在しています。ようやく2つの川が1つになるのは高田馬場駅の東側にある、下の写真の地点でした。

左側が神田川、右側の暗渠になっているのが妙正寺川です。なんと、現在の「落合」は高田馬場にあったのです。中野と高田馬場に挟まれたちょっと存在感の薄い(?)落合駅は、この地域の地形や歴史を反映した由緒ある駅名だったのですが、地名の由来となる主役の座すら、お隣の高田馬場に譲っていたとは! 時の流れの無情を感じざるを得ないですね。

今回の散策では、地名のおもしろさを改めて感じることができました。15世紀の武将も、江戸時代の将軍も、そして現代の私たちも、みんな同じ〝わがままな川〟が作った舞台の上で歴史を積み重ねているのだということを強くかみしめて、このブログを終えようと思います。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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