~千葉県八千代市
悪役が守り神?編~
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
千葉県北西部にある八千代市は自然豊かなベッドタウンで、下の地図でもわかる通り、千葉県第一の都市である千葉市、第二の都市である船橋市と隣接し、成田空港へのアクセスも悪くありません。
八千代市発展のきっかけとなったのは、1956年に誕生した「八千代台団地」です。これは日本初の本格的な大規模住宅団地であり、水洗トイレやダイニングキッチンを備えた住宅は、当時としては画期的な「憧れの生活」の先駆けとなりました。
八千代市がさらに発展したのは、1996年に東葉高速鉄道線が開通したことです。この路線は、東京メトロ東西線と直通運転をしており、八千代市役所の最寄り駅である八千代中央駅までは、東京の日本橋からおよそ40分です。ただし、この東葉高速鉄道線は高額運賃の路線でも有名です。日本橋から西船橋までの東京メトロ東西線の区間が約30分で300円のところ、西船橋から八千代中央までは約15分で580円にもなります。それでも、東葉高速線開通時の1996年には約15万人だった人口は、2020年には20万人を超えました。やはり東京直通のメリットは大きいのでしょうね。
八千代という地名が誕生したのは1954年のことで、大和田町、睦村、阿蘇村が合併して八千代町となりました。新しい町の名は公募によって決められたのですが、八千代というのは古くからの由緒ある地名ではありません。「千代に八千代に(限りなく永久に)発展してほしい」という住民の切実な願いが込められているということですが、それだけでしょうかね? 調べてみたところ、合併前の睦村も、1889年に周辺の6つの村(桑納、麦丸、久保丸、下市場、萱田町、萱田)が合併してできた村でした。おそらく、各地域の名を尊重することは難しかったのでしょう。だから、どの地名ともしがらみのない八千代という名がついたというのも1つの理由のような気がするのですがどうでしょうか??

さて、八千代市の地図を見ていたところ、「時平神社」という、同じ名のつく神社が複数存在していることに気づきました。この「時平」というのは藤原時平のことで、彼は平安時代の摂関政治で知られる藤原氏の家系に生まれました。時平の父は、歴史上初めて関白の地位に就いた藤原基経です。この人物は、リンスタのテキストにも載っていますね。時平は順調に高い位を歴任していき、31歳という若さで左大臣の位にまで上り詰めました。左大臣というのは当時の政治の実質的な最高責任者です。平清盛などがついたことで知られる太政大臣は、常に置かれている職ではありません。どちらかというと名誉職的なものだと考えていいでしょう。つまり、時平は30代前半にして、日本の政治のトップに立ったということです。「な~んだ。ただのお坊ちゃま政治家か…」と思ったら大間違いで、彼は政治の能力も高く、政治を立て直すためのいくつかの改革も実行しています。どこかの国の世襲議員とはちょっと違うのかもしれませんね(笑)
そして、時平が左大臣のときに、そのサポート役ともいう右大臣の位に就いていたのが、学問の神様としても知られる菅原道真です。藤原氏の権力独占を快く思っていなかった宇多天皇は、道真の高い能力を高く評価し、異例のスピードで出世させていきます。エリートとして育ってきた時平にとっては、家柄も低く、自分よりもずっと年上の道真の出世が気に入らなかったようです。今風に言うと「ウザい…」と思っていたのではないでしょうか。やがて道真は、時平の陰謀によって大宰府へと左遷されてしまい、彼の地で亡くなります。
一方、時平は39歳の若さで亡くなってしまうのですが、その原因は道真の祟りとされました。つまり、藤原時平という人物は、無実の道真を陥れたことで、自らは祟られて死を迎えたという、いわば「歴史上の悪役」になってしまったのです。
その他にも、天皇が暮らす清涼殿への落雷、天皇の後継者の死、疫病の流行や異常気象などが道真の祟りとされ、時平の一族は「呪われた一族」として疎まれ、都での居場所を失っていきました。やがて時平から数えて5代目の子孫とされる藤原師経は一族の生き残りをかけて東国への亡命を決意します。そして、たどり着いたのがここ八千代の地だったのです。ただし、これはあくまでも伝承に過ぎず、藤原氏の一族が移り住んできたのは間違いないようなのですが、それがどの人物であるかは特定できないようです。 八千代にやって来た藤原一族は姓を変え、自分たちの先祖である藤原時平を祀るための神社を建立しました。これが、この地域に同じ名の神社が点在している理由だそうです。新しい土地での生活は厳しいものだったことでしょう。そんな彼らにとっての心の拠り所となっていたのが時平神社だったんです。おそらく、藤原一族はこの地にうまく溶け込めたのでしょうね。だからこそ時平神社は大切にされ、令和の世になるまで残ってきたのでしょう。

それでは、4つの時平神社を実際に訪ねてみることにしましょう。スタートは京成大和田駅です。
駅の小さな改札を出て右に進むと、「小板橋時平神社」と書いた看板があったので、ここを左に折れて坂を上っていきます。住宅の間を3分ほど進んだところに、小さな公園のようなスペースがあり、その奥に下の写真の神社がありました。

その由来を知らなければ、なんてことのない小さな社です。地元に根付いた神社ではあるものの、多くの人はここを通り過ぎていってしまうのではないでしょうか。小さな社殿に施された彫刻は立派なもので、ここが由緒正しい神社であることを主張しているような気がします。
参拝を済ませて次の目的地に向かいます。直線距離ではわずか400mほどなのですが、まっすぐに向かう道がなく、いくつかの曲がり角を慎重に辿っていきます。このあたりは起伏の多い地形で、そのためまっすぐな道はつくれないのでしょう。7分ほど歩くと少し広い道に出ました。国道296号線、成田街道ですね。この道を渡ったところに森があり、ここが目的地の「萱田町時平神社」なのですが、向こう側へ渡る横断歩道がありません。この日は土曜日だったせいか、あまり自動車も通っていなかったので渡ることができましたが、交通量の多いときは危険でしょうね。ちなみに、左右どちらに行っても、横断歩道までは2~3分歩かなければいけません。しかも、近い方は坂の下ですから、こちらを渡ると坂の上り下りも必要になります。 道路を横断して神社の境内へと続く石段を登ると、下の写真の鳥居がありました。先ほどの小板橋時平神社に比べると、やや整備が行き届いていないように見えます。

石段を登っていくときは、木の陰で少し暗い感じなのですが、鳥居の先に見える本殿には光がさしています。神社の東側は谷になっていて見晴らしがよく、生い茂った木々の様子とも相まって、より神社らしい雰囲気が感じられます。建物は小さなものですが、青い瓦葺の屋根は光の効果で立派に見えます。ただ、本殿の周りを囲んでいるのは、普通の住宅にもあるようなブロック塀で、これが全体を安っぽく見せてしまっているのが残念です。屋根の両側には狛犬が置かれていますが、顔が下を向いているため、なんだか逆立ちをしているように見えます。私が知らないだけかもしれないですが、屋根の上の狛犬ってたぶん珍しいですよね。沖縄のシーサーみたいに魔除けの役割でもしているのでしょうかね。
次の目的地までは成田街道を1㎞弱進めばいいのですが、歩道が狭くてとても歩きにくい道です。そこで、少し迂回することにはなりますが、細い住宅街の道を進んでいくことにしました。江戸時代のこのあたりには、成田街道の大和田宿がありました。今歩いている道沿いにも、昔からありそうな家がいくつか見られます。住宅街を歩くことおよそ13分、下の写真の大和田時平神社に到着しました。

この神社の敷地は横幅のわりに奥行きがなく、一見するとあまり立派な神社には見えません。ここも、先ほどの萱田町時平神社と同じく江戸時代の初め頃の創建だそうですが、だいぶ雰囲気は違うように感じます。境内はこちらのほうがよく整備されており、鳥居をくぐって本殿に近づくと見事な彫刻が施されているのが目に入りました。よく見ると、写真の左側に写っている樹木も立派ですよね。おそらく昔から今に至るまで、地元の人々に大切にされているのでしょう。地図で確認してみたところ、神社の後ろ側には円光院というお寺があり、こちらは墓地も含めて大きな敷地があるようです。もしかすると、昔はこの神社の前面にも、もっと長い参道のようなものがあったのかもしれないですね。
最後に向かったのは萱田下時平神社です。ここは、前述の3つとは少し離れたところにあります。だいたい2㎞くらいあるので、おそらく30分くらいかかるでしょう。
成田街道を横断し、北へ向かう道を進みます。しばらく歩くと目の前に学校のグラウンドがあり、道はそれを避けるように右に迂回していきます。このあたりは少し下り坂になっているようですね。地図で確認したところ、グラウンドから北東の方向にかけては谷の地形になっているようです。さらに進むと、右側は崖になっており、その上に住宅が続いています。左側には同じ高さに住宅が続いているので、この道は台地と谷の境目に沿って続いているということですね。右側に続いていた崖が少しずつ低くなり、突き当りを左に曲がるとその先は上り坂になります。このあたりが谷の底になるようですね。上り坂を進んでいくと、東葉高速線の高架の下をくぐります。すぐ東側に川がある台地の先端であるせいか、その先は下り坂、さらにまた上り坂と、緩やかではありますが起伏の多い道です。左側から道が合流してくると、そのすぐ先に開けたスペースがありました。右に公民館、左に消防団の建物があり、その隙間のようなところにあったのが、下の写真の神社です。4つの時平神社のなかでは、間違いなくここがいちばん小さいでしょう。

神社というよりは祠のような本殿で、その前にある石造りの鳥居と立派なしめ縄が、少々アンバランスな気がします。小さな本殿を囲む玉垣には、おそらく地元の方々であろう名前が刻まれており、地域の守り神として大切にされているのだということがわかります。
さて、この地域には「下総三山の七年祭り」と呼ばれるお祭りがあります。この祭りは、千葉県船橋市三山にある二宮神社を中心として、丑年と未年にあたる年に開催され、次回は2027年に開催予定です。祭りには9つの神社が参加し、それぞれが一つの家族としての役割を持っていて、時平神社は「長男」の役割を担っています。時平神社は単なる地元の守り神ではなく、「家族」の一員として大切にされてきたという一面もあるのかもしれませんね。歴史上の悪役である時平を、これほどまでに一途に守り通そうとするこの地域の人々が、ちょっとだけ素敵に思えてきました。
最後に1つ余談です。
この地域には、学問の神様である天神様が1つもないそうです。もちろんその理由はわかりますよね。今ではさすがにそんなことはないようですが、この地域の人が東京の湯島や亀戸の天神様に合格祈願に行くということはなかったそうです。また学校では、歌詞に天神様が出てくる「通りゃんせ」は歌わなかったそうですよ。
さらに、時平神社の近くに梅の木を植えるとすぐに枯れてしまったという伝説もあるようです。「東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」は、天神様=菅原道真の歌として知られています。このことから、梅は天神様のシンボルになっている花なんです。天神様のお守りは梅のマークだし、太宰府天満宮の名物も梅ヶ枝餅ですもんね。時平と梅の相性はまちがいなく悪そうです(笑)
あれ? でもさっきの住宅街に梅の花咲いてたぞ???
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
