~秋田県仙北市
江戸時代への時間旅行編~
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
仙北市は秋田県の東部に位置する市ですが、この名を聞いてもピンとこないという人も多いでしょう。仙北市が誕生したのは2005年のことで、田沢湖町、角館町、西木村の3つの自治体が合併して1つの市となりました。田沢湖といえば水深423mの「日本で最も深い湖」としてリンスタのテキストにも載っています。金色に輝く辰子像と湖の写真は、観光ポスターなどでおなじみです。また、角館は「みちのくの小京都」として知られる人気の観光地です。どちらも知っているけど、それが仙北市という名につながる人はおそらく少ないでしょうね。

合併した3つの自治体がすべて秋田県仙北郡に属していたことからこの市名となったのですが、なんとなく違和感があるのは私だけでしょうか。合併後の市の名をどうするかについては、いろいろと紆余曲折があったようです。市内に名所が1つだけだったら、おそらくその名を冠した市名になっていたでしょう。ところが、田沢湖も角館も有名観光地であるため、どちらか一方の名にすることはできません。それぞれの名を活かす名称を模索したようですがうまくいかず、一時は合併が破談になりかけました。…で、結局もともとの郡名である仙北を市の名称としたのですが、せっかくの有名観光地なのにもったいない気がしますよね。
今回はその角館を訪問してきたのですが、その別名である「みちのくの小京都」にも、実はちょっと違和感を覚えているのです。「みちのく」を漢字で表すと「陸奥」となります。これは東北地方東部の旧国名で、現在でいうと、福島県、宮城県、岩手県、青森県にあたります。同じ東北地方でも、山形県や秋田県は出羽国になりますから、秋田県に属する角館は、本来「出羽の小京都」と呼ぶべきなのです。現在では東北地方全体を「みちのく」という場合もあるので、誤りであるというわけではありませんが、なんとなく気になってしまいました。
さて、盛岡駅近くのホテルに滞在していた私は、秋田新幹線こまち号に乗るために盛岡駅にやって来ました。予約していた列車の出発までまだ少し時間があります。そこで、西口にあるマリオスというビルの20階にある展望室フロアに行ってみることにしました。この日は晴天だったので、きっと岩手山の姿がきれいに見えると思ったのです。「南部富士」と呼ばれる岩手山は、岩手のシンボルとなっている火山です。展望台からの眺望は、下の写真のように期待通りのものでした。

盛岡駅を出発した秋田新幹線は、上の写真の左側に向かって進んでいきます。青空と岩手山の美しい姿は、しばらくの間私の目を楽しませてくれました。もちろん、この風景が見たくて右側の座席を予約しているんですよ。
秋田新幹線は、先に開業した山形新幹線とともに「ミニ新幹線」と呼ばれる新幹線です。新幹線と在来線は線路の幅が異なるため、両方を直通して運転することはできません。新幹線を建設するには多額の費用がかかるので、建設できるのは利用客の多い区間に限られてしまいます。そこで開発されたのが「ミニ新幹線」で、もともとあった在来線の線路幅を新幹線と同じに改造することで、新幹線車両が直接乗り入れられるようにしました。これによって建設コストを抑えつつ、乗り換えなしで東京都心と山形・秋田を結べるようになったわけです。ただし、在来線の区間に入ってからは、イメージしている新幹線のようにスピードを出すことはできません。私の乗ったこまち号も、ゆっくりと山奥の風景の中を進んでいきます。
盛岡駅から約1時間、角館駅に到着しました。この日は平日でしたが観光客もある程度いるようで、その人たちとともに階段を登って改札に向かいます。駅を出るとバス乗り場があり、一緒に降りてきた観光客のほとんどはそちらに向かいます。もちろん私にはバスに乗るという選択肢はありません。武家屋敷の入り口までおよそ1㎞ですから、歩けば15分くらいで着くでしょう。

駅前から延びる道を10分ほど進み、突き当りを右に曲がってしばらく進んだところが武家屋敷通りの入り口です。武家屋敷の入り口には、広場のようなスペースがあります。この広場は「火除け」と呼ばれ、ここで火災の延焼を食い止めるわけですね。また、この「火除け」は、武士の住む内町と、商人の住む外町を明確に分けるためのものでもあったようですね。案内が書かれていなかったら何てことのないこの広場も、身分社会だった江戸時代の名残だったのです。

内町へと一歩足を踏み入れると、風景は一変します。視界を占めるのは、重厚な黒塗りの板塀。そして、その背後から溢れ出すように枝を伸ばす木々です。上の写真を見てもわかると思いますが、角館の武家屋敷通りは道幅がとても広く取られているのが特徴です。これは戦いに備えたものと言われていますが、今ではその広さがゆとりと開放感を与えてくれています。観光客が少々多くても、この広い道の効果で、のんびりと散策を楽しむことができる気がします。
まずは、武家屋敷通りをひたすら北へ進んでいくことにします。先ほどの「火除け」が町人地との境ですから、進んでいくにつれて、そこで暮らす武士の身分も高くなっていくのでしょうね。さらに進めば、ここに暮らしていた武士たちの主君の住まいもあったのでしょう。通りは途中で行き止まりとなって、少し左側にずれてその先に続いています。これは、攻めてくる敵の勢いを弱めるための工夫で、こういうところにも武士の時代の名残を見ることができます。
地図を見ると、武家屋敷通りの先に「角館城址」と書かれているのが見つかりました。下の写真が城址の山で、上に登っていく道もあるようです。…が、ここは秋田県。訪問した10月ごろは、連日のように熊出没のニュースが流れていました。熊との出会いは望むところではありませんので、ここは城のあった山の姿を遠目にするだけで、武家屋敷通りを引き返していくことにしました。

角館城ができたのは室町時代のことで、当初は城の北側に城下町が築かれていたそうです。先ほどの地図を見てもわかるように、城のある山の斜面の北側には川の合流地点があります。このような場所は、水害の被害を受けやすいですよね。その上、斜面にあることや、土地が広くないこともあり、やはり使い勝手が悪かったのだと思います。
関ヶ原の戦いの後、常陸国(茨城県)の戦国大名だった佐竹義宣が秋田に転封されてきます。そして、その弟にあたる蘆名義勝が角館に入り、城下町を城の南側に移しました。その後、道幅が広げられ、下水が整備され、火除けを設けられ…と、現在の街並みが整備されていったのです。その後、蘆名氏が途絶えると、佐竹家の分家である佐竹北家が角館を治めるようになり、これが明治時代になるまで続きます。
1615年に一国一城令が出されると、角館城は廃城となり、城主は山の麓に屋敷を構えることになります。残念ながらその屋敷は残されていないようです。観光ボランティアの方にお聞きしたところ、国道の整備などもあって今は別の施設になってしまったとのことですが、なんとももったいないことですよね。武家屋敷の先に城主の屋敷があったら、街並みの完成度はさらに上がったことでしょう。
せっかくなので、武家屋敷の中も見てみることにします。武家屋敷通りには、内部を見学できるものがいくつかあるのですが、私はその中から「石黒家」を選ぶことにしました。ここが角館で最古の武家屋敷だということもありますが、現在でも子孫がここで生活をしているというのに魅力を感じたのです。もちろん、実際に生活をされているスペースを見ることはできません。
石黒家は、佐竹北家の財政を支えた上級武士の家柄です。門を入って見上げると、重厚な茅葺き屋根には、魔除けの意味を持つ「亀」の飾り瓦が鎮座しています。飾り瓦は石黒家が歩んできた歳月の重みを無言で語りかけてくるようです。
靴を脱いで室内に入ると、案内の方がいろいろと説明をしてくれます。下の写真は、欄間に施された亀の透かし彫りですが、左側には太陽の光によってその影が映し出されています。何とも魅力的な演出ですよね。
ちなみにこの建物には玄関が2つあり、私たちは右側にある脇玄関から入ります。左側にある正玄関は、殿様や身分の高い客、あるいは冠婚葬祭などの重要な儀式の際のみに使われる「開かずの扉」に近い存在なのだそうです。案内の方によると、正玄関が最後に使われたのは、先代の当主が亡くなったときだそうです。
この屋敷の奥には石黒家の子孫の方々が暮らし、日々の営みを続けています。ただの観光地の展示物ではなく、受け継がれていく住まいだからこそのぬくもりのようなものを感じたのは、気のせいではないと思います。

案内をしていただいた観光ボランティアの方と少し話をしてから石黒家を退去し、武家屋敷通りを南下していきます。いくつかの建物を見学していると、あっという間に時間が過ぎていきました。気がつけばお昼をだいぶ過ぎています。武家屋敷通りに面した店は混雑していたのでスルーし、道を1本外れたところにある店を見つけました。あとで調べてみたところ、混雑していた表通りの店の系列店でした。
何か秋田らしいものをと思って選んだのが、比内地鶏の親子丼。肉と卵が美味しかったのは言うまでもありませんが、米もとても美味しかったのには「さすが米どころ秋田!」ですよね。もちろん、米からつくられる飲み物もちょっとだけいただきました😋🍶
食事をとった後は、武家屋敷と離れて桧木内川の河原に向かいました。下の写真のような、なんてことのない風景なのですが、キラキラと光る水面と心地よく吹く風にすっかり癒され、しばらくここに佇んでいたのでした。武家屋敷の散策も楽しかったのですが、振り返ってみるとこの旅でいちばん幸せを感じた時間だったかもしれません。

ようやく腰を上げた私は、角館駅に向かって歩き始めます。
電車の時間にはまだ余裕があるので、少し寄り道をすることにしました。駅に向かうには東に向かうのですが、途中から南へ向かう細い道があったので、そちらに行ってみることにします。
しばらく進んだところにあったのが、下の写真の建物です。

この建物は「旧角館製糸工場」で、登録有形文化財に指定されています。上部にある小さな屋根が特徴的ですが、これは光を採り入れるためのもので、以前のブログ(群馬県桐生市 分割された〝関東の西陣〟編)で紹介した〝のこぎり屋根〟と同じですね。
幕末に外国との貿易が始まると生糸がさかんに輸出されるようになり、日本各地に製糸工場がつくられます。江戸時代から養蚕がさかんにおこなわれていたこともあって、ここ角館にも製糸工場がつくられることになったのです。写真でもわかる通り大きな建物ではないですから、生産の規模もそれほど多くはなかったのでしょうね。大正時代になると工場としての役目は終わり、その後は倉庫として使用されていたようです。よく解体されずに残っていたものですよね。
角館観光のメインとなる武家屋敷通りとは離れたところにあるので、おそらくここを訪れる人は少ないでしょう。でも、角館の歴史を語ってくれる貴重な建物の1つですので、江戸時代への時間旅行から現代に戻る前に、ちょっとだけ近代に寄り道をしてみるのもいいのではないかと思います。
引き返してもとのルートに戻り、ゆっくりと15分ほど歩いて角館駅に戻ってきました。
電車を待つ間に思ったのは、「また違う季節にあの武家屋敷通りを歩いてみたいな」ということ。ここは雪の多いところですから、黒塗りの板塀と白い雪のコントラストは美しく魅力的でしょう。雪中の散策で冷え切ったあとには、秋田名物のきりたんぽ鍋で暖まるのがいいな…。冬の再訪に思いを馳せつつ、近代的なフォルムの赤い新幹線に乗り込んだのです。
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
