白井亨(しらいとおる)

~山梨県甲府市・笛吹市 武田信玄とその父信虎編~

2023.09.15

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」
甲斐の戦国武将として有名な武田信玄のことばとして知られていますが、本当に信玄が言ったかどうかは定かでないそうです。
信玄は戦国時代を代表する武将の1人で、武田氏の本拠地があった甲府の駅前には、下の写真のような立派な武田信玄像が鎮座しています。甲府と言うと信玄を思い浮かべる人が多いようで、この像の前で記念写真を撮っている観光客の姿もよく見かけます。
山梨での定番のおみやげに信玄餅というのがありますが、その他にも信玄を冠したものは数多くあるようです。山梨に住む年配の方は「信玄公」と敬称をつけて呼ぶそうで、「信玄」と呼び捨てになどしたら怒られるとか…。それほど、武田信玄という人物は、山梨…いや甲斐国の人々にとって大きな存在なのでしょう。前述の言葉の通り、家臣や領民など「人」を大事にしたことがよくわかります。

その武田信玄を祀っているのが、甲府駅北口からまっすぐに伸びる道を進んだ先にある武田神社です。甲府駅から2㎞ほどなので軽く歩ける範囲なのですが、武田神社に向かうときはずっと緩やかな上り坂になっています。私はこの坂道が好きなので訪問したときには必ず歩いていますが、30分おきくらいに出ているバスを利用するのもいいでしょう。でも、もし晴れているならば帰りは徒歩で戻ることをお勧めします。甲府盆地を囲む山々もきれいですし、下り坂から甲府の町を見下ろせば武田信玄の見たであろう風景を想像することもできますよ。

さて、この武田神社ですが、もともとこの場所には「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」と呼ばれる武田氏の館がありました。
周囲には堀が築かれており、土塁の跡などもありますので、防御のための設備はあるようですが、城というほどのものではないですね。やはり「館」というのがふさわしいようです。戦国時代であるにも関わらずこのような館に住んでいたことから、信玄は冒頭の言葉の通りに城を築かなかったという人もいるようです。
しかし、この躑躅ヶ崎館はちゃんと戦いに対する備えがなされているのです。そのことを地図から確かめてみましょう。

この場所は甲府盆地の北の端になりますので背後は険しい山になっていますし、館の東西も山に挟まれています。ただ、東の山と西の山を比べると、西の山のほうが少し短くなっているので、南西方向は隙がありそうです。そこで築かれたのが地図中の湯村山城なんです。この城によって南西方向も防御されるので、躑躅ヶ崎館に攻めこむのは南からしかないですね。ただし、先ほど書いた通り南から向かうには坂を上っていかなければなりません。坂の上と下では明らかに上のほうが有利でしょうから、攻めるほうは大変そうです。
さらに、背後の山に要害山城を築き、敵に攻め込まれたときにはここに避難できるようにしました。このような「最後の砦」になる城のことを詰城といいます。実は、信玄はこの城で生まれているのです。甲斐国内に敵が攻め入っていたため、信玄の母はこの城に避難していたのです。城の近くにある積翠寺には「信玄公産湯の井戸」というのが残されています。

躑躅ヶ崎館は、武田家が代々受け継いできた館というわけではなく、ここが本拠地となったのは信玄の父である武田信虎のときでした。信玄像のある甲府駅南口と反対側の北口には、甲府の町を築いた人物として信虎像が置かれています。

信虎が躑躅ヶ崎に移る前の武田氏は、現在の笛吹市にある川田館を本拠地としていました。石和温泉駅から歩いて10分程度の場所なんですが、現在は看板が立っているだけで、周囲はぶどう畑が広がっているだけの長閑なところです。地図を見てみると、この近くには笛吹川を始めとして多くの川が流れており、水運や水の便は良かったと思われます。館の中にはこの地域の各村に引かれる水路も通っていたようで、水を管理することで地域の支配をしていたのかもしれません。武田氏はもともと甲斐国の守護大名でしたから、国全体の中心としては都合の良い土地だったのでしょう。
しかし、信虎の時代は激しい戦乱の時代です。比較的開けた土地にある川田館は、戦国大名の本拠地としては心許なかったのかもしれませんね。守護大名から戦国大名へと変わっていく武田氏を象徴するのが、この本拠地の移転だったのかもしれません。

信玄の時代の武田氏は「戦国最強」とも言われました。しかし、その父である信虎は「偉大な信玄に追放された父」というマイナスのイメージを持たれています。追放の理由は、信虎の悪政ということだそうですが、本当にそうなのでしょうか?
前述した通り、信虎の時代は激しい戦いの時代でした。戦って勝たなければ生き残れない時代ですので、信虎は次から次へと戦いをくり広げていったことでしょう。しかしそれは、家臣や領民にとって大きな負担になります。また、信虎は戦いに強い武将でしたから、勝利を重ねていくごとにその権力は大きくなっていったかもしれません。それも反発を招く要因になっていたとしたら…。なんだか信虎が気の毒に思えてきました。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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