白井亨(しらいとおる)

~千葉県市川市  ママは急な崖だった!編~

2023.07.07

みなさんこんにちは。

リンスタ社会科担当の白井です。

子どものころから「変な駅名だなぁ」と思っていたのが、千葉県市川市にある京成電鉄の市川真間駅です。最近はその「変な」を逆手にとって、毎年母の日のころになると「市川ママ駅」と看板を付け替えたりしています。今回は、その「真間」の「?」を取り上げてみたいと思います。

真間という地名の由来を調べてみたところ、もともとは崖や急斜面を意味する言葉だそうです。
千葉県は平坦な地形の多いところですから、このような地名があるのは意外な感じもしますね。実際、いつも通勤で乗っている電車の車窓からは、崖や急斜面らしきものを見つけることはできません。

そこで、地図で確かめてみたところ、JR市川駅の北1㎞程のところに、弘法寺という寺院があり、そこに崖らしき地形があることがわかりました。ただ、地図中の土地の高さを表す数字を見てもせいぜい20m強ですので、たいした崖ではなさそうな気もします。これは現地に行って確かめるしかないですね。

ちなみに、この寺院の名は「ぐほうじ」と読みます。この寺院ができたのは奈良時代のこと。建立したのは行基で、そのときの名称は求法寺だったそうです。平安時代、今度は空海(弘法大師)が伽藍を整備し、そのときに弘法寺になりました。鎌倉時代に日蓮の布教を受け、現在は日蓮宗の寺院となっているそうです。
テキストに載っている有名な僧が3人も関わっているなんて、かなり由緒ある寺院なんですね。

市川駅から15分ほど歩くと、目の前に現れたのは上の写真の階段。予想していたよりは長くて急な階段にちょっと驚きました。上ってみるとさらにびっくり。この階段、一段一段が普通の階段よりも少し高くなっているんです。登り切ったときは足がパンパンになっていました。
これだけ上ったのだからさぞかし素晴らしい眺望が…と期待しましたが、そこはやはり標高20m。がんばったご褒美とまではいかなかったかな…(笑)

さて、地図を見てみると1つ谷を挟んだ台地に、下総国分寺跡と下総国分尼寺跡があることに気づきました。
以前のブログで市原市の上総国分寺を取り上げましたが、そのときに国分寺を建てる場所の条件について紹介しました。もう一度確認しておきますね。
 1.国華として仰ぎ見るのによい地形
 2.水害の憂いなく長久安穏の場
 3.南面(向)の土地
さらに、上総国分寺の場合は、東京湾を渡ってきた船から仰ぎ見ることができたはずだということも書きました。さて、下総国分寺の場合はどうでしょうか?

再び坂を登ってやって来た下総国分寺は、南向きではあることと、台地上なので水害の心配は少ないことはあてはまりそうですが、周りの眺望は開けておらず「仰ぎ見るのに良い」という感じはしません。さらに内陸に位置している下総国分尼寺は言うまでもないですね。国分寺は、上の写真のように現在も寺院として使われていましたが、国分尼寺のほうは寺院ですらなく、わずかな礎石と、下の写真の石碑が残っているだけでした。国分寺には七重塔もあったようで、どちらの寺院もその当時は立派なものだったのでしょう。

ここで、改めて地図を見てみました。先ほどよりも、もう少し広い範囲を見ることで、あることに気づいたのです。

上の地図を見てください。この地図の範囲に、3つも貝塚があったんです。
貝塚というのは縄文時代の人々のごみ捨て場ですね。貝塚からは、多くの貝殻が積もっているのが発見されます。貝は海でとりますが、縄文時代の集落というのは台地上にあることが多いのです。地図からも、3つの貝塚が少し標高の高くなっているところにあるのがわかります。とった貝は台地の上の集落まで運ばなければいけないのですが、重い貝を担いで坂を登っていくのは大変そうですね。だったら、どうせ捨てることになる貝殻はとったその場で外してしまい、身だけを持っていたほうが楽ですよね。つまり、貝殻を捨てる場所=貝塚というのは海のすぐそばにあるはずなんです。ということは、地図中の低い土地のところは、少なくとも縄文時代は海だったということになりますね。これらの場所が、国分寺ができた奈良時代にすべて海だったわけではないでしょうが、少なくとも現在よりはかなり海に近いところにあったと思われます。もしかすると、先ほどの弘法寺の崖も、波の力で侵食されてできたのかもしれないですね。

さて下総国分寺ですが、もうわかりましたね。上総国分寺のときの同じなんです。きっと、東京湾を船で渡ってきた人々には、国分寺の七重塔を仰ぎ見ることができたことでしょう。水辺や湿地の多かったこの地域は、海から仰ぎ見るというのが重要。やはりここも、国分寺を建立する場所としてふさわしい場所だったのです。

弘法寺の北西には、戦国時代に北条氏と里見氏の争いの舞台となった国府台城跡もあります。とても長い間に渡って、この地は下総国にとって重要な地だったのでしょうね。

今回は、市川真間駅の地名由来から、最後のほうはずいぶん話題が飛んでしまいましたね。でも、こうして歩いているうちにいろんな気づきや発見があることも、街散歩の楽しみなのです。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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