長野県飯山市
〜世界へひらく雪深き寺のまち編〜
みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。
ここは長野県飯山市、信州最北端の市です。
飯山市の人口は約18000人。長野県にある19の市の中で最も人口が少ない市でもあります。
また、この街を語る上で外せないのが〝雪〟です。飯山市は日本有数の豪雪地帯として知られており、冬になると街全体が数メートルの深い雪に覆われます。

下の写真は、飯山市の玄関口であるJR飯山駅です。
長野県最小の市の玄関口としては、かなり立派な駅ですよね。実はこれ、北陸新幹線の駅なんです。新幹線ができる前の飯山駅はローカル線の駅で、ここよりも約300m北にありました。小さな駅が移転して新幹線の駅と合体し、この駅になりました。豪雪地帯の小さな市に、なぜ新幹線の駅があるんでしょうね?

その疑問はひとまず置いといて、まずは飯山市の歴史について確認していきましょう。
古くから、山国である信州と日本海を結ぶ交通の要所だった飯山市ですが、戦国時代にこの地に目を付けたのが、あの〝越後の龍〟上杉謙信でした。彼は〝甲斐の虎〟武田信玄と激しい戦いをくり広げていました。謙信の本拠地があったのは、現在の上越市にある春日山城です。その南にある山々を越えたところにあるのがこの飯山市です。春日山城から飯山までは、直線距離にするとわずか35㎞程度しかありません。謙信は、飯山城を、信玄の侵攻をくい止め、川中島に出陣するための最前線の防衛拠点、そして兵糧を蓄える基地としました。つまり、飯山は戦国時代を代表する戦いのひとつである川中島の戦いにも大きく関わっていたということですね。
江戸時代になって平和な世が訪れると、飯山は戦いの拠点から物流の拠点へと生まれ変わります。その主役となったのが、北陸新幹線が飯山駅に着く直前に渡る千曲川でした。当時の大量輸送手段といえば水運です。飯山には、日本海から塩や魚などが運ばれ、この地で収穫した米や特産物などが運ばれていく、いわば「物流センター」のような役割を持つ地として大いに栄えたのです。
ところが、明治時代になると、街の運命を一変させる〝文明開化の波〟が押し寄せます。
貿易港があり、米どころでもある新潟と東京を結ぶ鉄道の開通は、近代国家を目指す日本にとっても重要なことでした。それまでの物流ルートだった千曲川沿いを通って新潟へ向かう鉄道が開通すれば、これまで以上に街が栄えると期待した飯山の人たちだったのですが、無情にも鉄道は長野駅から北に向かう北国街道沿いのルートで開通したのです。それが現在のしなの鉄道(旧信越本線)です。
危機感を感じた地元の有志たちは、千曲川沿いを通る飯山鉄道という私鉄(現在のJR飯山線)を開通させますが、国が建設したメインルートにかなうはずもなく、江戸時代までの活気を取り戻すことはできませんでした。

メインルートを外された飯山市が再び脚光を浴びるのは、それから100年以上の月日が流れてからのことでした。2015年、北陸新幹線の長野~金沢延伸開業に伴ってできたのが、先ほどの飯山駅です。飯山の街から活気を奪った鉄道が、今度は新幹線という形で、再びこの街を日本の大動脈へと繋ぎなおしたというわけです。
長野駅からは、飯山線のディーゼルカーでのんびりと行くことにしました。途中から千曲川に沿っていくのですが、川が右に蛇行すれば線路も右へ、左に蛇行すれば線路も左へとくねくね曲がりながら進んでいきます。当然ですが、スピードを出すことはできません。私のように旅をしている者にとっては、美しい景色とのんびり走る列車は非日常を味わえて魅力的なのですが、日常的に利用する人たちにとっては不便なのでしょう。この列車もとても空いていました。

長野駅を出て約50分、到着したのは飯山駅ではなくその次の北飯山駅です。飯山市の見どころはこの2つの駅の間に多いので、まずは北から攻めていくことにしたのです。
地図を見ると、近くに英岩寺という寺院があることがわかりました。小さな寺院ですが、飯山市街地で最古という由緒正しいお寺です。細い道の先に寺の建物が見えます。先へ進むと小さな橋があり、その橋を渡る手前で右を見ると、なんと真っ赤に塗られたお地蔵さまが!

以前のブログ(千葉県印西市 ~新・旧・最新編~)で真っ赤な庚申塔を見つけて、それが魔除けのためだったということを書きましたが、このお地蔵さんも同じようなことなのでしょうかね? 周りには人もおらず確かめることはできませんでしたが、手を合わせてご挨拶をしたのでした。突然現れた真っ赤なその姿に、ちょっとだけビビッたことは内緒にしておきましょう(笑)
次に向かったのは飯山城跡です。
歩いていると、道にはリンスタの小4のテキストに出てくる「消雪パイプ」を見ることができました。消雪パイプは金属でできているため、水といっしょに錆も出てくるのでしょうね。道路は、先ほどのお地蔵様ほどではありませんが赤っぽく染まっています。その先には飯山高校の敷地があるのですが、ここでも驚くものを見つけました。なんと、そこには文字通り「山」のように積み上げられた大量の雪が! 道路にはすっかり雪がなくなっていたのですが、ドカンと居座るその圧倒的な雪の塊を見て、ここが日本有数の豪雪地帯なんだということを実感させられたのでした。
飯山城は小高い丘の上に築かれていますので、階段と坂を上っていきます。ここにもわずかですが雪が残っていました。三の丸から入って、また一段高いところに上り二の丸に入ります。遺構がわかりやすいようになっているのも、城跡を訪ねるものにとってはありがたいですね。二の丸から東のほうを見ると、眼下には千曲川の雄大な流れがあります。これだけの大きな川があれば、東から攻めるのは困難でしょう。小高い山の丘の上にあるのですから、その他の方向には堀を築けば万全の防御態勢が構築できるはずで、信玄が攻め落とせなかったのも無理はないでしょう。
特に目立った建造物があるわけではないので、城に詳しくない人はあまりおもしろくないのかなぁ…と思いますが、春は桜の名所にもなっているようなので、その季節に訪れるのもいいかもしれませんね。
飯山城跡からは西に向かって、飯山線の踏切を渡ります。その先の突き当りを左に曲がると〝雁木通り〟と名付けられた道に出ます。雁木というのは、建物の庇を道路側に長く突き出させることで、その下の歩道に雪が積もらないようにする工夫です。リンスタで使っている小4のテキストにも載っていますが、その雁木を道の両側に配しているので雁木通りなんですね。

この通りの両側に多く並んでいるのは仏壇屋さん。飯山には「飯山仏壇」という伝統的工芸品があり、「寺のまち」であると同時に、「仏壇のまち」でもあるのです。
この近くには、仏壇づくりの技術を活かして、総金箔張りの「黄金トイレ」という名物スポットがあります。私も見てみたいとその場所まで行ってみたのですが、残念ながら冬期休業中でした。名所が冬期休業というのも、さすがは日本屈指の豪雪地帯というところでしょうか(笑)
せっかくなので、千曲川をもっと近くで見てみようと「中央橋」に向かいます。
橋の上に立ってまず驚かされるのは、河原の圧倒的な広さです。これだけ広い河原があれば水害は起こらないだろうと思うのですが、時に自然の脅威は人間の知恵を簡単に超えてしまうことがあるのです。
2019年の東日本台風のことは、上田のブログでも書きました。上田電鉄の赤い橋を崩落させたあの台風です。ここ飯山でも千曲川の水は広大な河原をすべて飲み込み、その一部は市街地まで流れ出してしまったのです。

上の写真のような穏やかな流れの千曲川。かつては水運による富をもたらしてくれた千曲川。しかし、ひとたび牙をむけば街を飲み込んでしまう。自然の持つ「恵み」と「脅威」の表裏一体さを、広い河原が静かに語りかけてくるようでした。
橋の途中から引き返して、今度は飯山の市街地に向かいます。街のつくりはたしかに市街地のものなのですが、人の数があまりにも少なく、これまで訪ねてきた地方都市の市街地と同様に、寂れた雰囲気が漂っていました。お世辞にも「新幹線が止まる駅」という華やかさはまったくなく、どこか時間が止まったような静かな佇まいです。
市街地を抜けて、かつての飯山駅があった場所に行ってみます。そこには下の写真の鐘が置かれていました。

この鐘は「七福の鐘」と名付けられており、もともとは旧飯山駅のホームに置かれていたのだそうです。列車を利用する人は誰でも鐘を鳴らすことができたそうで、〝寺のまち飯山〟の象徴となっていたのでしょう。今はここに置かれていて、許可があれば鳴らすこともできるそうですよ。
鐘の横には山門のようなものがあり、そこには2体の真っ黒な像が置かれています。この像は、もともと善光寺の参道にあった仁王像なのですが、なんとなくこれまで見てきた仁王像と様子が異なるのです。まずはその全体が黒光りしているということ。仁王像というと赤く塗られたものが多いイメージがあるのですが、黒はなかなか珍しいのではないでしょうか。また、そのお顔がやや大きめで、表情もあまり怒っている感じではないのです。なぜこんな感じにしたんでしょうかね? 善光寺の仁王像がこの飯山にあるのも不思議ですが、ちょっと気になりますね。
再び飯山線の踏切を渡って西に向かいます。市街地に近い住宅地を歩いているのですが、まったく人に会いません。ここでふと頭をよぎったのは、「熊が出たらどうしよう…」ということでした。ここ飯山の街でも熊が出没したというニュースを聞いたことがあります。住宅地の先は、木の生い茂る急な坂道です。そんな恐怖に耐えながらどうしても行きたかったのが、下の写真の正受庵です。

観光パンフレットでこの姿を見て以来、「ここだけは絶対に見てみたい」と思ったのがこの正受庵だったのです。山裾にひっそりと佇む茅葺き屋根の庵。言葉を失うほど静謐で、神聖な雰囲気すら感じる姿でした。
下に降りて茅葺き屋根のお堂のところに行きます。そこに置かれていた賽銭箱には、信州の旅で何度も目にしたあの家紋が! そう〝六文銭〟です。
購入したリーフレットを読んだところ、この庵で修業をしていた正受老人という方は、松代藩の初代藩主真田信之の子と言われています。この庵の維持にも、真田家からも手厚い支援があったのだそうです。まさか、この飯山にも真田の痕跡が残っているとは思いませんでした。きっと、信州の歴史を紐解くと必ずと言っていいほど真田の影を感じるのでしょうね。
飯山駅に戻ってくると、上り方面は新幹線のほうが先に来るようです。
ホームに上がると、そこにはたくさんの外国人観光客の姿が見られました。この飯山駅からは、日本屈指のスキーリゾート野沢温泉への直通バスが出ています。野沢温泉のスキー場は〝パウダースノー〟の雪質で知られ、外国人にも大人気なのだそうです。きっと新幹線も混みあうだろうなと思ったのですが、長野駅まではなんと約10分! デッキに立っていてもあっという間に着いてしまいます。往路、飯山線のディーゼルカーに揺られて1時間近くかけてやってきたのが、まるで夢だったかのような早さです。
ホームから金沢方面を見ると、そこにはすぐ、下の写真のようなトンネルの入り口があります。
飯山駅を通過する最高時速260kmの新幹線が一瞬で吸い込まれていくこの全長22.251kmの巨大な穴の奥には、実は日本の土木史に残る凄まじい激闘の歴史が隠されています。

2000年に始まった飯山トンネルの掘削工事は、最悪の自然条件との闘いでした。
2003年9月には大規模な落盤事故が発生しました。坑内の重機が500メートルも押し流されただけでなく、遥か上の地上の森林が直径190メートルにわたってポッカリと大陥没するという絶望的な事故でした。
しかし、技術者たちは決して諦めることなく、先人たちの知恵と最新の技術を結集してこの怪物のような山を克服し、事故から4年後の2007年12月に悲願の全線貫通を成し遂げました。
この工事の様子は、NHKの『プロジェクトX』でも特集され、私もそれを見て胸の熱くなる思いをしたものです。人々が何気なく快適に移動しているこの暗闇の向こう側には、かつて命がけでこの道を切り拓いた名もなきヒーローたちの血と汗と涙の結晶が今も確かに息づいているのだと思うと、再び胸が熱くなるのでした。
かつて、千曲川の水運で多くの人や物資を集め、大いに栄えた飯山の街。
時代が変わり、鉄道のメインルートから外れて一度は静まりかえってしまいましたが、今、こうして新幹線が通ったことで、〝世界中から人々を惹きつける玄関口〟へと生まれ変わりつつあるのですね。
異国の言葉が飛び交うホームを眺めながら、「かつての水運の栄華が、今度は新幹線という形になって、この街の未来を創っていくんだな」と、そんな予感を胸に、混雑する新幹線に乗り込んだのでした。
「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。
