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~愛知県名古屋市
  堀を走る電車編~

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

愛知県の県庁所在地である名古屋市は、日本の三大都市の1つに数えられる大都市です。
名古屋へは新幹線で行くことが多いのですが、いつも思うのは駅前のビルが高いなぁ…ということです。 下の写真は、名古屋駅の太閤口から撮ったものですが、なんか威圧感があると思いませんか?

この写真だけ見ると洗練された都会の雰囲気ですが、名古屋駅から15分ほど歩くと昔ながらの商店街があったり、古い町並みが残っているところがあったりと、いろんな顔を持つ魅力的な街なんですよ。そうそう、きしめんや味噌かつ、あんかけスパなどの〝名古屋めし〟もおいしいですよね。

みなさんが名古屋と聞いて思い浮かべるものって何でしょうか?
いろいろと意見は分かれるかもしれないですが、名古屋城を思い浮かべるという人は少なくないと思います。
「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ」というのは、東海地方の町とその繁栄した理由をうたったものです。伊勢は津という港町があったので伊勢神宮に多くの参拝客が集まり賑わっていた、津は伊勢神宮への参拝客で港が賑わっていた、そして名古屋は城があるから栄えているということですね。

以前のブログ(~愛知県・三重県 木曽三川あれこれ編~)で紹介しましたが、江戸時代の東海道は宮宿~桑名宿の間を船で結んでいました。宮宿というのは熱田神宮の近くなので、現在の名古屋市中心部からは少し離れています。かつての東海道は名古屋の街を通っていなかったんですね。街道から外れたところが寂れてしまうという例もありますから、名古屋が同じ運命をたどったという可能性もありますよね。名古屋城ができたことで城下町として賑わったわけですから、まさに名古屋は「城で持つ」といった街なのです。
前回のブログで、瀬戸市のミュージアムに展示されていた電車の行き先が「堀川」となっていて、現在はそんな駅は存在しないということを書きました。その「?」を解くカギになるのが名古屋城なのです。今回はそれを確かめに、名古屋の街を歩いてみることにします。

尾張瀬戸駅から栄町行きの電車に乗った私は、終点の2つ手前になる清水駅で下車しました。しばらく歩いていくと、下の写真のような不自然に左にカーブしていく道があります。

この左へカーブしていく道を地図で確かめてみましょう。
下の地図中の〇をつけているところにカーブした道があるのがわかるでしょうか? 実はこのカーブ、昔の瀬戸線の線路跡なのです。現在の瀬戸線は、高架上にある清水駅から一気に坂を下って地下に入り、そのまま南下して栄町駅に向かいます。かつての瀬戸線は地下に潜ることなく、地上を進んでいきました。そしてそのカーブの先には何があるでしょう? 地図中に矢印で示しましたが、矢印の先は細長い窪地になっているのがわかると思います。実はこの窪んだ土地は、名古屋城の堀なのです。つまり、かつての瀬戸線は、名古屋城の堀の中を通っていたということです。

なぜわざわざ堀のなかを通す必要があったのか…。それは地図を見ればよくわかりますよね。地図の色に注目してください。地図の北の方と南の方では色が異なっていることがわかると思います。もし、瀬戸線がそのまま南下していくことになれば、低地から台地へ急な坂を上っていかなくてはいけません。電車というのは鉄の車輪と鉄のレールを使っているため坂道に弱いのです。堀は周りよりも低くなっているわけですから、ここを通すことによって急な坂を上ることなく先へ進むことができるというわけですね。おそらく、かつての名鉄瀬戸線は、下の地図のような経路を辿っていたと思います。

先ほどのカーブのところから、かつて瀬戸線が通っていた堀に沿って歩いていきます。道はすぐに上り坂になるのですが、鉄道が通るのは困難だということが歩いてみて実感できました。右手には堀があるのですが、草や木が生い茂っており、電車が走っていたというのを俄かには信じられないほどです。ここを通っていた路線が廃止されたのは1978年のことですから、もう50年近く経つんですね。そう考えると、風景の変化が大きいのも当然ですね。坂を上ってしばらく進むと、地下にある東大手駅の入り口があり、このあたりでは堀を見下ろすことができました。堀を走る区間の瀬戸線は複線だったそうなのですが、幅を見る限りそのスペースも十分にあるようですね。それだけ名古屋城が巨大だということでしょう。

しばらく進むと堀にかかる橋があったので、そこから堀を見下ろして当時の風景を想像してみることにしました。ふと思い出したのは、山形城のすぐ横を通っていた山形新幹線のことです。そう考えると、堀を利用して鉄道を敷くというのは、それほど珍しいものではないのかもしれませんね。

橋の先は道路との間に建物があって、しばらく堀を見ることはできません。次に堀が見えたのは、交差点を右に折れた地点でした。下の写真ではわかりにくいのですが、ここで堀は直角に曲がっています。電車が通るにはいささか急すぎるように思えるのですが、実際にここを電車が通っていたんですね。電車はゆっくりゆっくりと速度を落とし、ギィギィと大きな音を立ててここを通過していたことでしょう。
このカーブは〝サンチャインカーブ〟と呼ばれていたそうです。かつて鉄道の分野で使われていた測量単位にチェーン (Chain) というのがあり、1チェーンは約20mになります。この直角カーブの半径は60mなので、3チェーンということになり、これが変化して〝サンチャインカーブ〟になったのだそうです。以前のブログ(千葉県船橋市ほか 変わりゆく風景編)で紹介した、千葉県の京成津田沼駅付近の急カーブが半径139mだそうなので、ここは鉄道のカーブとしてはほぼ限界に近いものだったのかもしれないですね。

サンチャインカーブもあった交差点を曲がって、今後は西に向かって歩を進めます。 しばらく歩くと、下の写真のような、堀へと続くコンクリートの階段がありました。現在は柵に阻まれて下りることはできないのですが、この階段はかつての瀬戸線の駅だった大津町駅へと続くものです。写真では小さくてわからないと思いますが、「私有地につき立ち入り禁止 ㈱名古屋鉄道」と書いた立て札も確認できました。この駅は、名古屋の中心部へ向かう市電やバスへの乗換駅となっていたそうで、実質的な瀬戸線のターミナル駅という位置づけでした。きっと、朝の通勤・通学の時間などは、この階段を多くの人が行き交っていたのでしょうね。

大津町駅跡からさらに西に進むと、次に堀にかかる橋が本町橋です。この橋を通り過ぎるときに気づいたのが、「これまでの橋に比べると短いのでは?」ということでした。地図で確かめてみると、確かにこの部分だけ堀の幅も狭くなっているようです。樹木にさえぎられて橋の様子がなかなか確認できなかったのですが、何とか見える位置から撮ったのが下の写真です。やはり橋の下のスペースは狭くなっているようですね。前述した通り瀬戸線は複線なのですが、どう見てもここを2本のレールが通っていたとは思えません。
調べてみたところ、ここには〝ガントレット〟と呼ばれる特殊な構造の線路配置があったということがわかりました。

一般的に、2つの線路を1つにまとめたり、1つの線路を2つに分けたりするときには「分岐器(ポイント)」と呼ばれる設備を使います。分岐器を左右に動かすことで、列車の車輪の向きを変えて進む線路を切り替えます。しかし分岐器は、稼働する部分があるだけ故障もしやすく、保守の手間もかかります。そこで、この本町橋のところでは、下の略図のように複線の線路を分岐器を使わずに単線分の用地に束ねて敷設するという方式が採用されました。これが〝ガントレット〟です。

この設備は、当時日本で唯一のものだったそうで、先ほどのサンチャインカーブと並んで、城の堀に線路を敷くというのが、いかに困難だったかということを表しているのかもしれませんね。今となっては叶わないことですが、ここを電車が走っているところを見たかったものです。

さらに西へ進んでいくと道は下りとなり、坂を下りきったところに、瀬戸線の終点だった堀川駅がありました。駅があったことを示す案内板には、当時の堀川駅の写真がありました。下の写真の右側に駅舎が、真ん中あたりに線路とホームがあり、左側には名古屋城の石垣も確認できます。周囲を見渡すと住宅やマンションなどがあって、道路を行き交う自動車も多いのですが、現在の終点である栄町駅周辺と比べるととても静かな場所です。なぜ、ここが終点だったのでしょうね?

その理由は、堀川駅の目の前を流れる〝堀川〟にありました。
この川は自然の川ではありません。江戸時代の初期、徳川家康が名古屋城築城の際に、資材運搬のために開削かいさくさせた運河です。堀川という名も「掘った川」ということから付けられています。堀川は、長い間名古屋の物流の大動脈としての役割を果たしてきました。堀川駅の最も重要な役割は、瀬戸線で運ばれてきた陶磁器を堀川の水運を利用して名古屋港に運び、日本の各地や海外に出荷する物流の拠点としなることでした。先ほど、大津町駅が実質的なターミナルだったと書きましたが、ここ堀川駅までくる旅客列車の数はそれほど多くなかったようです。

堀を通る電車の輸送力には限界があり、名古屋の中心部から離れたところに駅があることは、瀬戸線の利用者にとっても不便ですよね。大津町駅で接続していた市電も廃止され、ますます利用しづらくなった路線が廃止されたのは当然のことだったのでしょう。郷愁的な魅力を感じる堀を走る電車も、時代の波には逆らえなかったということですね。でもやっぱり見たかったなぁ…。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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