白井亨(しらいとおる)

~東京都北区・荒川区  「く」?「ぐ」? どっち? 編~

2025.01.31

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

東京都内にあるJRの駅で最も利用客が少ないのは京葉線の越中島駅です。この駅は東京駅から2つ目、たった4分と聞くと、なんだかとても便利そうなのですが、地図を見ると利用者が少ない理由がわかります。

越中島駅のまわりは東京海洋大学のキャンパスとなっており、住宅地は駅の北側のやや離れたところにあります。また、もう少し北に行ったところには、東京メトロ東西線の門前仲町駅があり、この駅は都営地下鉄大江戸線も利用できます。2つの路線が使える門前仲町駅の利便性が高いのは言うまでもありません。さらに、地下鉄はさまざまな路線と交差しているので、乗り換えをすれば様々な目的地に向かうことができます。
京葉線も東京駅に行くので乗り換えができそうですが、他の路線に乗り換えるには、長~い長~い通路を延々と歩かなければならないのです。ディズニーランドに行った帰りに、この長い通路を歩いたことがある人もいるのではないですか? このように見ていくと、このあたりに住んでいる人たちが越中島駅を選ばないのも当然ですよね。この駅は、この地域の住民の利用する駅というよりも、東京海洋大学へ通う大学生のための駅なのです。

2番目と4番目になる駅は、とても近いところにあります。それが、京浜東北線の上中里駅と、上野東京ラインの尾久駅です。ちなみに、3番目に少ないのは山手線の高輪ゲートウェイですが、ここはまだ周囲が開発途上ですので、いずれ利用客数は増えていくでしょう。また、上中里駅から程近いところにある西ヶ原駅は、東京メトロの駅のなかで最も利用客が少ない駅になっているんです。同じ地域に、利用客が少ない駅が集まっているのは、偶然とは思えないですね。

では、地図からその理由を探ってみましょう。

3つの駅のうち、上中里駅と西ヶ原駅はかなり近いところに位置しています。そして、その2つの駅の間には、国立印刷局の工場、飛鳥山公園などがあります。つまり、両駅とも利用者となる住民が住んでいるのは駅の片側だけということです。しかも、これだけ近い距離に2つの駅があるのですから、利用者は分散されてしまうはずです。こういったことから、西ヶ原駅は東京メトロのワースト1、上中里駅は東京都内のJRのワースト2となってしまったんですね。

尾久駅も同じような事情がありそうだということは地図から読み取ることができますね。尾久駅の南側にある、たくさんの線が引いてあるところにはJRの尾久車両センターという車両基地があります。つまり、この広大な土地も人が住んでいないところなんですね。そうすると、尾久駅を利用するのは駅の北側に住んでいる人たちだけということになります。実際に、尾久駅の改札もこちら側にしかありません。改札の横からは、南側に通じる地下道があるのですが、わざわざここを通って尾久駅に行くなら上中里駅を利用すればいいわけですから、この2つの駅の利用客も分散されているということでしょう。

さて、その尾久駅ですがちょっと不思議なことがあるんです。
下の写真は、尾久駅前にある公衆トイレなのですが、アルファベットが3文字デザインされているのがわかりますか? 左から〝OKU〟=「おく」ですね。駅に掲げられている看板にも〝Oku Station〟と書いてありました。

今度は下の地図を見てください。
青い〇をつけたところは「西尾久」「東尾久」という名のつく住所です。だからここにある駅も尾久駅なんだと思ってしまうのですが、この住所の読み方は「にしおぐ」「ひがしおぐ」と、「く」に濁点がつくのです。

下の写真は、都電荒川線の東尾久三丁目駅と西尾久にあった住所表示です。アルファベットをよく見てください。先ほどの尾久駅のものとは異なり〝ogu〟〝OGU〟となっているのがわかりますか? つまり、住所は「おぐ」なのに、なぜか駅名は「おく」になっているのです。なぜ微妙に異なる名称になっているのか、これは「?」ですね。

また、西尾久、東尾久という住所があるのは荒川区ですが、尾久駅があるのは北区です。駅名というのは、だいたいその駅が所在する場所の地名になるはずですから、これも何となく違和感があります。ちなみに、尾久駅の住所は北区昭和町で、尾久という地名とは関係ありません。

先ほど、尾久駅に隣接したところに尾久車両センターという車両基地があると書きました。調べてみたところ、この基地ができたのは尾久駅が開業する前の1926年のことで、そのときの名称は「貝塚操車場」だったそうです。おそらく、近くに中里貝塚という縄文時代の遺跡があることからつけられたのでしょう。そして、ここに駅ができたのは1929年のこと。このときに付いた駅名が「尾久」で、同時に貝塚操車場も尾久操車場に変更されているのです。普通に考えれば、もともとあった操車場の名をもらって「貝塚駅」となると思うのですが、これも「?」ですね。

まず尾久の読み方ですが、住所の読み方が「おぐ」となっている以上、もともとの地名に濁点が付いていたというのはまちがいないでしょう。尾久の地名は古くからあったもので、その由来にはいくつかの説があるようですが、その1つに「江戸の奥のほうにあったから」というものがあります。背後に隅田川のあるこの地は、たしかに江戸の北の端にあるようにも見えますよね。この説の真偽はともかく、これを知った当時の鉄道関係の人が「地名の〝おぐ〟というのは訛っているだけで本来は〝おく〟なんだ」として、駅名には濁点を付けなかったというのです。たとえ訛っていたとしてもそうよばれている地名なんですから、あまりにも強引な感じがします。個人的にこの説はあまり支持できないような気がします。

では、別の区にある尾久の地名を駅名としたのはなぜなんでしょう?
その謎を解くカギが、西尾久二丁目にある碩運寺せきうんじという寺院にありました。寺の入り口のところにあった下の写真の説明版を読むと、この寺の住職が井戸を掘ったところ、温泉が湧出したため、寺内に温泉を開業したということが書いてありました。

初めは、「寺の湯」として、碩運寺の参拝客が利用していたのだそうですが、その後多くの人が訪れるようになったため、寺から独立した「不老閣」という温泉施設になりました。この不老閣を中心に多くの旅館や料理屋が開業し、この地域は温泉街として賑わったのだそうです。

本来なら貝塚駅になるはずだった駅名を尾久駅としたのには、この温泉を利用する観光客に駅を利用してもらおうという意図があったようなのです。ところが、尾久の住民たちから、新しくできる駅にその名が付けられることに対して反発があったのです。昔は鉄道の開業に対して反対する動きがあったということは、これまでにも紹介してきました。尾久の温泉で旅館を営んでいた人たちなどは、鉄道利用による宿泊客の減少を懸念したかもしれません。
そこで、住所である「おぐ」をそのまま用いず、あえて「おく」と濁音をとることで尾久の住民を納得させたのだそうです。観光客を誘致する目的でつけられた駅名は、以前のブログ(東京都台東区 鶯の鳴く谷はどこ?編)で紹介した鶯谷駅もそうでしたよね。
この説だと、住所が異なる場所に尾久駅ができた理由も、読み方が異なる理由も同時に説明することができますね。先に紹介した訛り説よりは説得力があるような気がします。

上野東京ラインの開業により利便性の高まった尾久駅の利用客は増加傾向にあるようです。尾久駅近くにも新しいマンションがいくつか見受けられました。新しくこの地域の住民になって尾久駅を利用する人たちにとっては「おく」のほうが馴染みのある地名になっていくのでしょう。もしかすると、もともとの「おぐ」のほうが忘れられた存在になってしまうなんてこともあるかもしれません。伝統的な地名を守るためにも、駅名を早めに「おぐ」に改称したほうがいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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