白井亨(しらいとおる)

~東京都新宿区ほか 大久保がいっぱい編~

2023.10.24

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

1日に300万人以上が利用するという、世界一の大ターミナル新宿駅。その隣の駅ってご存じでしょうか?
JRの場合、南に行くと代々木駅、北に行くと大久保駅と新大久保駅になります。下の写真が大久保駅なのですが、いつも人で賑わっている新宿駅の隣とは思えないような佇まいですよね。

ところがこの大久保駅、あることで日本一の駅なんです。何だかわかりますか?

答えは「JRの駅で最も多い同一駅名」でした。

日本全国にJR大久保駅は3つあるんです(あとの2つは秋田県と兵庫県)。「なぁんだ、そんなことか…」と思った人も多いかもしれません。しかし、駅名というのは混乱のないように、同じ地名の場合にはその前に旧国名などを入れるのが一般的なんです。例えば、神奈川県横浜市の「中山駅」に対して千葉県船橋市の「下総中山駅」、栃木県下野市の「小金井駅」に対して東京都小金井市の「武蔵小金井駅」というものです。
実はもう1つ、「白石駅」も北海道、宮城県、鹿児島県に3つ存在しますが、大久保駅は私鉄の駅を含めると全部で4つ、大久保の前に他の地名などが付くものを入れると、なんと7つの大久保駅が存在するのです(廃止となった駅を含めると9つもあります)。これはなんだか「?」の匂いがしますね。

まずは、大久保という地名の由来を調べてみました。大久保の「久保」は、もともとは「窪」だそうで、この地名は窪地や低地を表しているそうです。
それでは、3つの大久保駅の地形を、いつもの地理院地図で確認してみることにしましょう。まずは、東京都新宿区の大久保駅です。

この近くは行ったこともあるのですが、低地や窪地のイメージはないですね。ところが、地図をよく見ると「大久保」という住所は、新大久保駅のさらに東にある(地図中に〇で囲んでいるところ)ことがわかります。そして、その東には確かに窪地があります。つまり、大久保という駅名は大久保駅や新大久保駅の東側にあった地名からつけられたもので、その地名はさらに東にある窪地に由来するということですね。確認してみたところ、大久保駅や新大久保駅の住所は新宿区百人町、どちらも大久保ではなかったのです。

次に、兵庫県の大久保駅を見てみましょう。

ここはとてもわかりやすいですね。駅の南東の方向に川沿いの窪地があり、住所も大久保町となっています。さらに、西や南の方向にはいくつかの池もあります。ここも窪地と考えれば、まさに窪地だらけというような場所です。東京の大久保と比べると、より大久保にふさわしい感じの地形ですね。

さて、3つ目の大久保駅は秋田県です。

駅の西側に昭和大久保という住所がある(地図中に〇で囲んでいるところ)ので、おそらくここが駅名の由来でしょう。でも、ここまで紹介した2つとは違って、地図を見る限り窪地は確認できないですね。

でも、ちょっと思い出してみてください。大久保には、窪地の他に「低地」の意味もありましたよね。
この駅の北の方向には八郎潟干拓地があります。八郎潟は、もともと日本で2番目の面積を誇る大きな湖でした。八郎潟は、潮の流れによって砂が運ばれてできた砂州が、離島だった男鹿半島とつながり、その南北の砂州の間にできた湖でした。水深が浅く、深いところでも4~5m程度で、湖底の地形も平坦だったそうです。だからこそ、干拓に適していたわけですね。
昭和大久保のあたりは、干拓される前の八郎潟に面していたのではないでしょうか。湖底まで含めた平坦な地形が広がっていて、ある一定の高さより低いところに水が溜まって湖ができたのでしょう。秋田県の大久保は、前述の2つとは異なり、「低地」を由来とした地名ということのようですね。

最後に、JR以外の大久保駅を見てみましょう。駅があるのは京都府宇治市、近鉄京都線の駅になります。
では、地形を確認してみましょう。

地図の東の方に少々凹んだ土地が見られますが、大久保という住所は駅の南西方向(地図中に〇で囲んでいるところ)なので、この地形が由来になっているとは考えにくいですね。地図の西側には水田があるので、低い土地であることはわかりますが、秋田県の大久保のように水辺が近くにあるわけではなさそうです。
では、もう少し範囲を広げて地図を見てみましょう。

地図の西のほうには、桂川、宇治川、木津川の3つの河川が合流する地点があり、その東側には広大な水田が広がっています。そして、その水田のなかには、第二京阪道路の「巨椋池インターチェンジ」というのがあります。この地名でピンときましたね。そうなんです。かつてこのあたりには、巨椋池と大きな池があったのです。昔の地図を見てみると、その大きさは池というよりは湖と言ったほうが相応しいように感じます。
世界遺産にもなっている宇治の平等院鳳凰堂を建てたのは藤原頼通ですが、もともとここにはその父藤原道長の別荘がありました。この場所は、巨椋池やそこに浮かぶ島々が見渡せる景勝の地だったそうです。
しかし、3つの川が合流していることから、近隣の低地は何度となく水害に見舞われていました。そこで、1933年から1941年にかけて干拓工事がおこなわれ、現在では地図中に見られるように水田が広がるところになったのです。
大久保駅の西側にある大久保という地名の場所は巨椋池に面していたのではないでしょうか。そう考えると、八郎潟に面していた秋田県の大久保と同じ由来だということがわかりますね。やはり、この地名も「低地」が由来となっていたのです。

ここまで、新大久保駅を入れて5つの大久保駅を検証してきました。でも、最初に書いた通り大久保駅はあと2つあるのです(ただしこの2つの駅は大久保の前に別の名称がついています)。2つとも千葉県にある駅なのですが、同じような地形をしているのかどうかは、ぜひ皆さんの目で確かめてみてください。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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