白井亨(しらいとおる)

~山梨県甲斐市 武田信玄の治水事業編~

2023.09.22

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

前回のブログでは、武田信玄の話を書いたつもりがいつの間にかその父である武田信虎の話になってしまいました。山梨県を題材とする以上、やはり信玄の功績をもっと記していかないと県民の皆様に怒られそうです。そこで今回は、信玄の治政の大きな功績の1つ、信玄堤について書いていこうと思います。
信玄堤は、リンスタで使っている小5のテキストにも載っていますし、入試問題に取り上げられたこともあります。でも、そのしくみについてよくわからないという人も多いはずです。まずは、信玄堤がどのようにして洪水を防いでいるのかについて簡単に説明していきますね。

甲府盆地は山に囲まれていますので、周囲の山々からは川が流れこんでいます。その川が運んできた土砂が積もってできた傾斜地が扇状地です。扇状地を流れる川は、降水量が多い時期と少ない時期ではその姿を大きく変えていきます。山のほうで大雨が降ったときなどは、とても激しい流れとなって斜面を下ってくるのです。
下の地図は、甲府盆地の中央部から西部にかけてのものです。

南北を貫く釜無川は、やがて富士川となって駿河湾に注ぎます。言わずと知れた「日本三大急流」の1つですね。その釜無川に向かって、ほぼ直角に交わっているのが御勅使川です。地図からも、御勅使川の扇状地がはっきりわかりますね。さらにそのすぐ西側には南アルプスの山々が迫っています。下の写真は釜無川の河原から撮った南アルプスの山々ですが、かなり近いところに急峻な山々がそびえ立っていることがわかると思います。山のほうで大雨が降れば、この川の水量は一気に増えたことでしょう。そして、その激しい流れが釜無川にぶつかるところでは、たびたび大きな水害が起こっていたのです。

実は、かつての御勅使川は現在よりももっと南のほうで釜無川に合流していました。その地点で水があふれてしまったら、そのまま西にある甲府駅のほう、つまり甲府市の中心部に流れていってしまいます。甲府盆地全体が大きな被害を受けることになりそうですよね。この水の流れを何とか治めようとしたのが信玄堤なのです。

では、信玄はどのようにしてこの問題を解決したのでしょうか?
まず信玄は、御勅使川の流れを変えることから始めました。そのためにつくられたのが「将棋頭」という、将棋の駒の形をした石積みでした。流れを分けることによって勢いを弱め、釜無川との合流点をそれまでよりも北に移動させていきました。新たに合流点となった地点には「高岩」とよばれる崖があります。激しい水の流れを崖にぶつけることでその勢いを抑えていったんですね。

そして、その高岩が途切れるところから築かれたのが信玄堤とよばれる堤防なのです。
高岩と信玄堤でも止められないほどの水が出た場合に備えて築かれたのが、この治水システムの大きな特徴となっている「霞堤」とよばれる途中に切れ目が入った堤防です。堤防は、切れ目なく連続してなければ水があふれてしまうのに、なぜこの堤防は連続していないのでしょうか?
下の図を見てください。いちばん左側が通常の様子です。白い矢印の方向が川の流れですので、堤防は上流のほうに向かって切れていることがわかります。「切れ目のある堤防なんて役に立たないのでは?」と思いますよね。でも、よく考えてみてください。水害の被害というのは、堤防が突然切れて、水が勢いよく流れ出てしまったときに大きくなります。この堤防の場合、大雨が降って川が増水すると、真ん中の図のように水が少しずつあふれていきます。このように少しずつあふれるのであれば、その被害は少なく済むのです。さらに、洪水が収まって水が引き始めると、右の図のように、あふれた水はスムーズに元の川の流れに戻っていきます。

信玄堤がある釜無川からは少し離れていますが、この霞堤が復元されているところがあるのです。その名を「史跡学習公園信玄堤」といいます。信玄の大きな功績を現代に生きる私たちにも学べるようにということなのでしょうか。甲府盆地の人々にとって、信玄の治水はそれほど大きなものだということなのでしょうね。

話を釜無川に戻しましょう。
流れてくる水の勢いをさらに弱めるために置かれたのが、下の写真の「聖牛」とよばれるものです。
これを堤防の近くに置くことで、水の勢いが弱まるだけでなく、流れてきた土砂が積もることで堤防がより強固なものになるのだそうです。また、とてもシンプルな構造なので、壊れてしまったときにもすぐに代わりのものに置き換えることができたんだそうです。よく考えられていますよね。

信玄堤の近くに、三社神社という神社があります。
毎年4月に「おみゆきさん」とよばれる祭りが開催され、甲府盆地にある3つの神社から、お神輿を担いだ行列がこの神社に集まってくるのだそうです。
実は、この祭りも治水のためのものでした。大きなお祭りですからたくさんの人が集まります。この大勢の人たちが堤防の上を歩くことで、堤防の土が踏み固められるのだそうです。

霞堤は、現在でも日本各地の河川で用いられています。また、水を勢いよくあふれさせないという考え方は、都市部の大河川で建設されているスーパー堤防にも用いられています。500年も前に考えられたものが、現代の治水にも活かされているということにも、武田信玄の功績の偉大さを感じます。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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