白井亨(しらいとおる)

~栃木県栃木市 ちょっと残念な風情ある町編~

2023.07.21

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

日本の47都道府県を覚えるというのは、社会科学習の入り口みたいなものですね。そして、その次のステップになるのが都道府県庁所在地名です。47都道府県のうち、都道府県名と都道府県庁所在地名が一致しているものは29あります。これらの都道府県はいいのですが、残りの18を覚えるのがひと苦労。全部同じだったら楽なのになぁと思った人も多いのではないでしょうか。

都道府県名と同じ名の市があればその市が都道府県庁所在地というのが普通です。ところが、47都道府県のうち3つだけ、都道府県名と同じ名の市があるのに別の市が都道府県庁所在地になっているところがあるんです。どこだかパッと思い浮かびますか?
1つめが沖縄県沖縄市です。沖縄市は、1974年にコザ市と美里村が合併して誕生した市で、沖縄県内では県庁所在地の那覇市に次いで人口が多い市になっています。
2つめが山梨県山梨市です。山梨市は、1954年に近隣の8つの町村が合併して誕生した市で、ぶどうやももなどの果樹栽培が主要産業となっています。中央本線にも山梨市駅という駅がありますね。
どちらの市も合併によって生まれた市ということと、県名と同じだけど県庁所在地にはなった歴史はないという共通点があるようです。
そして3つめが、今回のブログのテーマとなる栃木県栃木市なのですが、ここは前述の2つとはちょっと事情が異なるようです。

現在の栃木市は、上の写真のような蔵造りの町並みが残されているとても風情のあるところです。同じように蔵造りの町並みが有名な岡山県倉敷市になぞらえて「関東の倉敷」などともよばれているそうです。町のあちこちに、歴史のある寺院や、昔の商家の建物も残っているので、これらを目当てに観光客も多く訪れているようです。
写真に写っているのは巴波川という川で、下流では渡良瀬川と合流します。渡良瀬川は、やがて利根川と合流しますので、江戸時代は江戸と日光などの栃木県内陸部を舟運で結ぶ物資の集積地として栄えたそうです。その名残がこの蔵の町並みなのですね。
ちなみに巴波川は“うずまがわ”と読みます。なかなかの難読地名ですね。名前の由来は「渦を巻き、波を立てて流れる」ということからだそうで、確かに川の流れは意外に速かったですね。きっと昔は水害も多かったのではないでしょうか。

また、江戸時代の栃木市は日光例幣使街道の宿場町としても栄えていました。日光例幣使というのは、徳川家康が祀られている日光東照宮へ、天皇の代理として朝廷からの捧げ物を運ぶ使節のことです。この街道を通る人々と、前述の舟運によって、江戸時代の栃木市はとても繁栄していたのですね。その頃の風景が今でも見られる町は歩いていてもとても楽しいところで、多くの観光客が訪れるのも納得です。

明治時代になって廃藩置県がおこなわれると、栃木市(当時は栃木町)は栃木県の県庁所在地となりました。この地域にはもう1つ、宇都宮市(当時は宇都宮町)を県庁所在地とする宇都宮県もありました。
1873年、栃木県と宇都宮県は合併し、現在と同じ1つの栃木県となります。そして、このときの県庁所在地はなんと栃木市だったのです。もしこのままだったら都道府県庁所在地名も覚えやすかったのに…、しかも宇都宮って微妙に覚えにくいし…と思った人もいるかもしれないですね(笑)

上の写真の堀は、当時の栃木県庁の周囲に巡らされていたもので、現在も県庁堀の名で呼ばれているそうです。また、この堀の近くには、下の写真の石碑もありました。確かにこの地は、栃木県の政治の中心として機能していたのです。

しかし、この議会の中でも、県庁を宇都宮に移転するべきだという意見が強くなっていきます。
下の地図を見ても、栃木市は県の南に寄っていて、宇都宮市のほうが県の中心部にあることがわかりますね。位置だけを見ると、宇都宮市のほうが栃木県の中心地にはふさわしい気がします。議会では、移転推進派と移転反対派の攻防が、しばらくの間くり広げられたようです。

やがて、三島通庸という人物が第3代の県令(現在の県知事)になると、1884年、ついに栃木県の県庁所在地は宇都宮市に移転されてしまいました。
移転の理由は、地理上の理由や経済上の理由が大きいようですが、その1つに自由民権運動があるとも言われています。自由民権運動というのは国会の開設などを求める動きのことで、当時の政府はこれを抑えようとしていました。栃木市では自由民権運動がさかんだったのです。
三島通庸という人物は薩摩藩の出身で、他にも山形県や福島県で県令を務めています。交通網の整備などの実績がある一方で、自由民権運動には厳しい姿勢で臨んだことでも知られています。この人物が県令になった翌年に移転が実現しているのですから、まったく関係がないとは言い切れない気がします。

実は、県庁移転の際に県名も宇都宮県に変えようという動きもあったそうです。でも、さすがにそれは栃木市に住む人々の感情を逆なでしそうですよね。それが理由かどうかはわかりませんが、県名は栃木県のまま、県庁所在地が宇都宮市になったのです。

現在の栃木市と宇都宮市では、その規模に大きな差が生まれてしまいました。人口を見ても、宇都宮市が約52万人に対し、栃木市は約16万人。宇都宮市には新幹線も通っていて、経済の規模も大きな差があるようです。
栃木市は街を歩いていても人通りもあまり多くなく、なんとなくのんびりとした雰囲気が漂う町という印象でした。こういう雰囲気は嫌いではないですけど、ちょっと残念な町という印象も否めません。かつて反映したところが衰退してしまうという例は他の都市にも見られることですが、それにはいろいろな理由があるのです。

さて、最後にちょっと面白いものを見つけたので紹介しておきます。
下の写真は栃木市役所の市庁舎ですが、東武百貨店の看板もあります。いったいこれはどっちなんだ!…と突っ込みたくなりますよね。
この建物、現在はほぼすべてが市役所なんです。1階のみが商業施設で、2階から上は通常の市役所の業務を行う市の施設になっています。市の施設ですから栃木市議会の議場もあります。商業ビルの中に議会があるって、ちょっと不思議な感じがしますね。

もともとここにあったのは福田屋百貨店というデパート。2011年に、デパートが業績悪化により閉店してしまうと、栃木市中心部であるこの付近の人通りが減ってしまい、何かしらの対策が必要になってきました。
ちょうどその頃起こったのが東日本大震災。各地で建物の安全性が再点検される中、ここ栃木市でも老朽化した市役所の耐震性が問題視されるようになりました。でも、新しく立て直すには多額の費用がかかります。
そこで生まれたのがこの市庁舎。市中心部の活性化と、市役所建設費用の節約という2つの課題を同時に解決する手段として、百貨店の建物を市役所として活用し、1階に商業施設をオープンさせたのです。市役所建設の工事中の仮庁舎ということで、商業施設など他の施設を使用するということなら他にも例はあるでしょうけど、こういうのは珍しいのではないでしょうかね。
こんなところにも栃木市の衰退を感じ、あらためて県庁所在地が移ったのはしかたないのだろうなぁ…と納得したのです。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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