白井亨(しらいとおる)

~千葉県浦安市  ここって千葉県じゃないの?編~

2023.06.23

みなさんこんにちは。
リンスタ社会科担当の白井です。

千葉県浦安市は、東京都との境に位置する人口約17万人の都市です。市内には東京メトロ東西線浦安駅とJR京葉線新浦安駅があり、どちらも東京都心まで20分程で出られることからベッドタウンとして発展しています。
浦安と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、今年開業40年を迎えた東京ディズニーランドではないでしょうか。「そっか。浦安なのに“東京”ディズニーランドだからこのタイトルなのか」と思った人…そんなわけないでしょ! このブログのテーマになっているところは、基本的にお金のかからないところばかりですからね(笑)

さてさて、本題です。
東西線の下り電車が浦安駅を出ると、進行方向右手に2つの川が合流しているのが確認できます。気になったので地図を確認してみると、川の合流地点ではなく、川の真ん中に島があることがわかりました。

この島は妙見島といい、地図でもわかる通り東京都に属しています。長さが約700m、幅が約200mで、東京23区では唯一の自然島なのだそうです。妙見島の名の由来は、室町時代の初めごろに妙見堂が建立されたこと。妙見という言葉から思い浮かぶのは、下総国の豪族千葉氏の守護神となっている妙見菩薩です。千葉氏は、千葉県の名の由来にもなった一族ですね。下の写真は、千葉氏にゆかりのある千葉神社(千葉市中央区)の本殿ですが、「妙見」の文字が大きく掲げられています。これは何か関係がありそうですね。

妙見島の地図を見ると、島の中に「妙見神社」というのがあるようなので、実際に行ってみることにしました。島の周囲はコンクリートの護岸で固められていて、先のほうが細くなっている様子がまるで船のようです。長崎県の軍艦島は有名ですが、ここも軍艦島と呼んでもいいかもしれませんね。

浦安駅から徒歩で橋を渡っていき、橋の途中の階段を下りて妙見島に上陸しました。
浦安駅周辺は人通りも多く賑やかだったのですが、島に上陸した途端に人の気配がしなくなりました。それもそのはずで、この島にあるのは工場や産業廃棄物の集積場ばかりなのです。訪問したのは土曜日だったのでそれほどではありませんでしたが、平日は多くの大型ダンプカーが行き交っているようです。島の中の道もダンプカーの粉塵で埃っぽく、とてもマスクを外す気にはなれなかったですね。とりあえず環境はあまり良いとは言えないようで、普通なら訪問したいという気持ちにはあまりならないところでしょう。
そんな島の中を少し歩いてたどり着いた妙見神社は、工場と工場の隙間みたいなところにあるとても小さな祠でした。もともとあった妙見堂は別の場所に移されたようですが、現存はしていないとのこと。

実際に妙見神社があったわけですから、間違いなくここは千葉氏に関係があるところなのでしょう。…ということは、ここは東京都ではなく千葉県なのでは??
予想通り、この島はもともと千葉県に属していたそうです。
千葉県ができる前の江戸時代にも、妙見島は現在の市川市にあった村の飛び地になっていました。さらに、曲亭馬琴の小説『南総里見八犬伝』にもこの島のことが書かれているのです。小説のなかに出てくる里見氏は安房国(現在の千葉県南部)の戦国大名ですから、やはり千葉県に関係が深そうですよね。
ところが、明治時代後半の1895年、なぜか東京都に編入されているのです。現在のように工場が多く建つようになったのは東京都に編入されてからのことだそうです。あまり環境が良いとは言えない島の様子から、東京都の汚れたものを持ってくるために、わざわざ編入したのでは…というのは勘繰り過ぎでしょうか?

さて、せっかくここまで来たのでもう少し散歩を続けてみようと、海側の新浦安駅まで歩いてみることにしました。浦安市は、市の面積の約4分の3が埋め立て地ですから、少々距離はあっても平坦な道を楽に歩けると思ったのです。

ところが、歩いているうちに平坦であるはずのこの場所に微妙な起伏があることに気づいたのです。地図で見ても平らにしか見えないのですが、これは「?」ですね。

上の写真を見てください。アパートの駐車場が斜めになっているのがわかりますよね。これは道路に比べて建物が少し高い位置にあるということでしょう。駐車場の手前にある建物も、小さな階段があることから少し高い位置にあるのがわかりますね。
先ほどの地図中の赤い点線は、昔の海岸線です。1950年代くらいまでは、この線より南東のほうは海だったのです。写真のアパートはこの線よりも北西側、つまり昔からあった土地にあります。
1950年代以前の地図を見てみると、集落があるのは地図で示したあたりだけです。川沿いにあるこの土地に住んでいた人の多くは漁業に携わる人たちで、浦安は小さな漁村だったのです。現在の様子からは想像しがたいですね。
そのわずかな集落の他は一面の水田が広がっていました。つまり、この場所は海沿いの低地だったということですね。そういう土地ですから、おそらく水害が頻繁に起こったことでしょう。
建物がかさ上げされている理由がわかりましたね。これはおそらく、水が出たときに建物への被害を少なくするための工夫でしょう。実際に、赤い点線よりも北の部分では、かさ上げされた住宅を多く確認することができました。

さらに進んでいくと、もともとの海岸線に沿っている道に出ました。それが上の写真です。
この道路、片側2車線の道路なのですが、海側の2車線が少し高い位置にあるのです。高い部分は埋め立て地ですから、意図的に高くしているということですよね。調べてみたところ、水害を防ぐためにもともとの土地よりも少しだけ高くしたらしいのです。
東日本大震災のとき、浦安市の埋め立て地では液状化が起こり、土砂の噴出や道路のひび割れなどの被害が出ましたね。浦安は、昔も今も災害と戦ってきた町なんだということが実感できました。

妙見島から新浦安駅までは、45分程度で歩けるはずなのですが、街の起伏を探しながらあちこち寄り道していたら、いつの間にか1時間半も歩いてしまいました。実際に行ってみないとわからないことっていっぱいあるんですね。

「?」はきっとそこにある
「?」を知ればおもしろい!
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。

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