白井亨(しらいとおる)

~千葉県船橋市飯山満町 気づかなかった難読地名編~

2023.02.28

みなさんこんにちは。 
リンスタ社会科担当の白井です。 

前回のブログで、小さいころに東京から千葉に引っ越したことを書きましたが、その移り住んだ場所が船橋市飯山満町です。この地名がよく知られるようになったのは東葉高速鉄道の飯山満駅ができてからで、地元ではあたりまえの地名だったものが、難読駅名として取り上げられるようになったんですね。みなさんは読めますか?
私もずっとこの地名に接してきたので、難読地名であることにまったく気づいていませんでした。家の住所も「飯山満町」だったし、通っていた小学校も「飯山満小学校」でしたからね。

飯山満は「はさま」と読みます。確かに不思議な読み方ですよね。そして、なんとなく当て字っぽいですね。
この地名の由来は、どうやら「狭間」らしいのです。狭間というのは「谷」や「谷間」のことです。そう言われてみると、子どものころは、小学校に通うのも坂を上り下りしていたし、友達の家に遊びに行くときも坂を上り下りしていました。中学校に至っては、坂を上って下って、さらにもう一度上って通っていたはずです。
それでは、この地域の地形をいつもの地理院地図で確かめてみましょう。

改めて地図を見てみると、坂が多かったのも頷けます。台地と台地に挟まれた狭い谷間のような場所がたくさんあるんですね。
この谷間は、台地が川によって浸食されてできたものでしょう。地図を見ても、いくつかの川が確認できます。そして、それらの川の多くが鉄道の北側を流れる川に流れ込んでいることもわかります。昔からここに住んでいた人たちは、狭い谷間の水田で稲作をしながら暮らしていたのでしょうね。

ところで、これら数多くの川の水源はどこにあるのでしょうか?
そのヒントになりそうな場所を見つけました。

上の写真は、新京成線薬園台駅近くにある湧水池です。地元の子どもたちは、この池を「ドーナツ池」と呼んでいて、ザリガニ釣りなどをしていたみたいですね。今はフェンスに囲まれていて水辺には近づけませんが、絶好の遊び場だったのでしょう。
この池があるのは、駅前の通りから少し急な坂を下ったところ、つまり谷間のいちばん奥まったところなんです。台地の端から湧水があるのは珍しいことではありません。以前に「お茶の水」のことを書いたときにもその話題を取り上げましたね。おそらく、この地域にはこのような湧水が数多くあり、そこから流れ出た水が台地を侵食して、いくつもの「狭間」を形成していったのでしょう。

そういえば、私が小さいころ、家の近くに釣り堀があったことを思い出しました。
地図中には、おそらくこのあたりだろうという位置を示しておきましたが、その釣り堀があったのは、やはり坂を下ったところでした。つまり、谷のいちばん奥まったあたりということで、そこからは川が流れていたような記憶があります。そうそう、その川の周りにあった田んぼでザリガニ釣りをしたことも思い出しました。今となっては確かめる術もありませんが、おそらくこの釣り堀も台地からの湧水を使っていたのではないでしょうか。

さて、ではなぜ「狭間」が「飯山満」になったのでしょう?

調べてみると、飯山満の地名の由来にはもう1つの説があるようです。
それが「ご飯が山に満ちる」土地だということ。つまりこの土地はとても多くの米がとれる豊かな土地だったということなのです。確かに水田にふさわしい低地があり、湧水によって水も豊富にありそうなので、米づくりには適していたかもしれません。ただ、土地の広さを考えると、それほど多くの米がとれるとは思えません。また、こういう土地は湿地になっていることも多いので、いわゆる湿田が多く、農作業も大変だったのではないかと思われます。狭い谷間に川が多くあるのですから、水害の被害も多かったでしょう。とても「ご飯が山に満ちる」ほどの豊かな土地とは思えませんね。

これらのことから推測した私の結論はこうです。
飯山満の語源はやはり「狭間」である。人々は決して使いやすいとは言えない田で米づくりをしていたが、そんなに豊かなくらしをしているわけではなかった。そういう人々が、豊かなくらしへの願いを込めて「狭間」に「飯山満」の字をあてるようになった。…いかがでしょうか?

子どものころの記憶なので定かではないのですが、もともとこの土地に住んでいた人は「はさま」ではなく「はざま」と言っている人が多かったような気がします。

これまで、自分の住んでいた土地についてそれほど深く考えてみたことはなかったのですが、久しぶりにこのあたりを散歩してみて、懐かしさとともに新たな発見もありました。時には「いつもの場所」「あたりまえの場所」をじっくり散策するのもいいかもしれません。

そうそう、船橋市内にはもう1つ難読地名がありました。それが「行々林」です。船橋市北部にあった地名なのですが、みなさんは読めますか?
「あった」と過去形で書いたのは、現在は別の住所になってしまっていて、地名自体は残っていないからです。地名が変更された理由は「あまりに読みにくかったから」だとか…。真偽のほどはわかりませんが、納得できるような気もします。


「?」はきっとそこにある 
「?」を知ればおもしろい! 
みなさんも、身近な「?」を見つけて楽しんでみてください。 


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